2011年の東日本大震災から、3月11日で10年を迎えます。巨大地震と津波、原発事故が重なった未曽有の災害は、今も多くの困難を被災地にもたらしています。日本共産党は当時、全国から支援に駆けつけ、現地の党組織と共にいち早く救援活動をくり広げました。共産党都委員会の副委員長だったとくとめ道信都議もその一人。「大震災の体験、教訓は、コロナ禍の今の政治のあり方に通じるものがある」と言うとくとめ都議に、当時を振り返ってもらいました。
お困りごとは
石巻市(宮城県)周辺には、首都圏を中心に全国から延べ7000人近いボランティアが支援に駆けつけてくれました。全国から寄せられた支援物資は、3万人を超える被災者に公平に届けました。
現地の共産党の被災者救援センターの活動は、すべての避難者、すべての仮設住宅を訪問し、「お困りごとはないですか」と声をかけて回ることからはじまりました。仮設住宅ごとに食事の炊き出し、無料バザー、少人数の仮設住宅にも軽車両で出かけて無料行商、さらに泥だし・がれき撤去など、多面的に活動を展開しました。
がれきの撤去や泥のかき出し作業の最中に、津波で浸水した住宅の床下や、破壊された墓地から行方不明の犠牲者が発見されることもありました。今となっては、とても考えられないような壮絶な体験でした。
地獄に仏
そうした厳しい現実と向き合う毎日でしたが、時には胸が熱くなるような出会いもありました。倒壊住宅街で無料バザーを開催し、私が生まれたばかりのお孫さんに粉ミルクを届けたご夫婦は、「1人の声にも耳を傾けてくれる共産党には驚きとともに感謝の気持ちでいっぱいです」と語ってくれました。後に、このご夫婦は、共産党の考えや活動に共鳴し、入党してくれることになりました。
多くの被災者からも「地獄に仏みたいだ」「共産党は政党や宗教に関係なく、平等に助けてくれた」と感謝の声が寄せられました。地元の自民党幹部からは「こういう国難のとき、共産党の人たちは、本当に無私になって動く。そういう存在感は、日本の政党の中では共産党しかもっていない」と、うれしい評価の言葉も届きました。
そんな中、大震災から半年後に実施された石巻市・牡鹿選挙区での宮城県議選では、前年の参院比例票の3倍の得票で共産党候補の初勝利、原発が破壊寸前までになった女川町議選では、前回比1・5倍の得票で2位・3位の高位当選という、劇的な選挙結果となりました。
保守的で共産党への偏見も強く残る地域でしたが、多くの被災者は救援活動に取り組む共産党の本当の姿を実体験で感じ取り、共感、信頼が広がったのだと思います。
人生の財産に
私にとって救援活動は、人生最大の体験となり、「国民の苦難解決に献身する」という日本共産党の存在意義と活動の原点を、実践的に学び身に付けて、その後の共産党の活動や議員活動など、私の人生の大きな財産になっています。
同時に共産党の原点である、住民の苦しみや困難に寄り添って人々を助ける活動こそ、政党と政治家、議員の本来のあり方だと確信にしています。
この間の政治災害ともいえるコロナ危機のもとで、政治のゆがみで苦しんでいる人たちに、「困りごとがあったら、気軽にご相談ください」と声をかけて、国民の命と暮らしを守る本来の政治、政党の役割を果たすことが、本当に重要になっていると思います。そのことが、今後の政治変革に直結すると確信もしています。
私は大震災の2年後に都議になって、いよいよ7月4日が3期目の都議選です。秋までに予想される解散・総選挙と共に勝ち抜いて、都政でも国政でも困難に寄り添い、困っている人にやさしい政治に転換するために、全力を尽くす決意です。
【東京民報2021年3月7日号より】