【アーカイブ】水俣に生きる人々の20年 映画『水俣曼荼羅』を公開 ドキュメンタリー監督 原一男さん〈2021年12月5日号より〉

 世界が熱視線を送るドキュメンタリー映画監督の原一男氏が、最新作で描くのは日本四大公害病のひとつ、水俣病。撮影15年、編集5年、計20年もの歳月をかけ、いまなお被害者の苦しみが影を落とす水俣の地に足を踏み入れ、人々に寄り添い、記録し続けてきた幾重もの壮大な人生を、6時間12分の作品『水俣曼荼羅まんだら』として完成させました。「水俣は終わっていない」「水俣を忘れてはいけない」―カメラを通して訴える原監督に、作品への思いと製作秘話を聞きました。

―なぜ水俣病をテーマに選んだのでしょうか。

 ある日、知人から「ポケットマネーを出すから撮らないか」と連絡を受けたことから始まります。水俣病関西訴訟が最高裁で勝利判決を得た日(04年)から、撮影がスタートしました。70年代の頃、水俣病のたたかいは日本の市民運動をけん引するような勢いがありました。しかし裁判闘争を続ける中で勝ち負けを繰り返し、エネルギーが失速していきます。この勝利により、水俣裁判闘争が奇跡的に息を吹き返すことになるのです。

 ―アスベスト被害を8年間追い続けた前々作『ニッポン国VS泉南石綿村(17年)』と撮影時期が重なりますね。

 当時、私は大阪芸術大学の教授をしていまして、授業後、車で1時間ほど走って泉南市に行っていました。水俣市はなんせ熊本県で遠く、夏休みや冬休みに日程を組んで滞在する。何とか平行して撮影できました。

 水俣病の患者は何十年も行政や病苦とたたかい、心がむしばまれている。どこか沈んだ空気が流れる中でカメラを回し、撮られる側が心を開いてくれるシチュエーションを見つけるのは大変でした。

原 一男(はら かずお) 76歳 映画監督 1945年6月8日、山口県宇部市の防空壕にて出生。27歳で脳性麻痺の人々をカメラに収めた『さようならCP(72年)』でデビュー。日本映画各賞を総なめにした『全身小説家(94)』など、多数の作品を発表

 ―被写体を前に「悔しくないですか」と怒る監督の声が聞こえ、健在ぶりが確認できました。

 極力感情を出さないように努めましたが、あちこちで言っちゃった。国や行政はおとなしくお願いしても変わらないでしょ。外から来た私にとっては、とても悔しい。

 例えば、水俣の街角で「水俣病公式確認60年記念」というポスターを見かけました。本質的な解決をする意志のない市がリーダーシップをとってね。私には、まやかしとしか思えない。いびつでしょ。そのいびつさを生む日本と水俣の風土を、20年かけて描きました。

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