南海トラフの巨大地震災害が、不確実性が増大する時代における3つめの危険です。

東北地方太平洋沖地震のようなM8~9クラスの巨大地震は、西南日本の太平洋側、南海トラフでも起きる可能性があります。その発生確率は、30年以内に7~8割というのが、国の地震調査研究推進本部の評価です。
被害想定は、死者で東日本大震災の10倍を超える32万人以上という甚大なものです。大阪や名古屋、静岡などの大都市があることが被害の大きさにつながっています。
かつて南海トラフ地震では、東海地震の予知にもとづき、新幹線を止めたり、学校を閉校にするなどの対策を取ることが想定されていました。
現在の方針では、南海トラフ地震の多様な発生形態を考えて、地震が起きる前に予知情報を出すことはありません。南海トラフの一部で大きな地震が起きた時、隣接する地域でも大きな地震が起きる可能性が高まることに備え、「巨大地震警戒」が発表されます。
南海トラフで巨大地震が起きた時に、隣接する地域で地震が起きた例は過去にあります。1944年の昭和の東南海地震では、2年後に南海地震が起きました。1854年の安政の南海地震は、東南海地震の2日後に起きています。
残念ながら現在の地震学では、地震が起きた時に隣の領域で地震が起きる可能性が高くなったということは言えますが、何日後、何年後に起きるかは言えません。
そこで、「巨大地震警戒」として、家具の転倒防止や避難経路のチェックなど、日ごろからの備えの再確認を呼びかけます。ただし、地震が発生してから避難するのでは間に合わない、要配慮者にはあらかじめの避難を求めます。
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災害をめぐる不確実性が増大する、4つ目の要因が複合災害です。
1923年の関東大震災では10万5千人が亡くなりましたが、その9割は地震火災で亡くなりました。当時の天気図を見ると、台風が日本海沿岸を東に進んでいたことがわかります。地震の発生直後、東京では南南西に秒速12・3㍍の強い風が吹いていました。風向きを変えながら、夜には最大風速で秒速22㍍が記録されています。
この強い風により、火災が広がり、多くの人が亡くなりました。もちろん、当時、大正時代で木造家屋が多く、燃えやすかったという要因もありますが、関東大震災は一つの複合災害だったといえます。
極端気象の増大や、新型コロナの感染拡大など、複合災害の危険性は非常に増大しています。
防災科学技術研究所参与・東京大学名誉教授・平田直
※連載は9月17日の関東大震災メモリアルシンポでの講演を再構成して紹介します
(東京民報2021年10月31日号より)