【 #Web東京民報 連載】⑨金之助の縁談に関与した正岡常規(子規)〔中〕 池内俊雄
- 2022/5/1
- WEB版連載
小説家として初めての作品『虞美人草』が、鳴物入りで明治40年(1907年)6月23日に朝日新聞に掲載された。金之助(漱石)は連載開始の10日前に「面会謝絶」の張り紙を出し、相当の緊張を強いられていた事がうかがわれる。10月29日に第127話を以て完結。几帳面に毎日連載された紙面を切り抜いて一冊の帖(じょう)とし、その最後に書き添えたのが、「秋の蚊の鳴かずなりたる書斎かな」の句である。
言葉の上では、読者の期待や批判を気にしながら、初めての大仕事をやり遂げた金之助の充足感や安堵を感じる。しかし、この句は、秋の蚊が出なくなった時期としては遅い10月末に詠まれているだけでなく、去る事14年前に常規(子規)が漱石に宛てた「待つ戀に又秋の蚊にさされけり」という句と、何らかの因果があるように感じて、額面通り素直には受け取れないのである。
「蚊」とは、常時ではないが思い出したように頭をもたげては人の心を妨げる厄介な問題を暗示し、『虞美人草』を書き終えてようやく心の平穏を取り戻すに至った、という表面上の解釈に留まらず、常規の言う、金之助が時期外れの蚊に度々突かれるように苛まされた「待つ戀」とは何かを、さかのぼって考える必要があろう。明治26年とその前後の金之助・常規の書簡から、関連していそうな箇所を拾ってみる。
…その上何の因果か女の祟りかこの頃は持病の眼がよろしくない方で読書もできずといって執筆はなほ悪し(金之助・明治23年7月20日)
…ただ煩悩の焔熾にして甘露の法雨待てども来らず。慾海の浪険にして何日か彼岸に達すべしとも思われず(金之助・明治23年8月9日)
何だと女の祟りで眼が悪くなったと、笑ハしやァがらァ、この頃の熱さでハのぼせがつよくてお気の毒だねへといハざるべからず厳汗の時節、自称色男ハさぞさぞ御困却と存候。…(常規・明治23年8月15日)
ええともう何か書くことはないかしら。ああそうそう、昨日眼科医者(注・井上眼科のこと)へいった所が、いつか君に話した可愛らしい女の子をみたね。銀杏返しに竹なはをかけて、天気予報なしの突然の邂逅だからひやつと驚いて思はず顔に紅葉散らしたね。まるで夕日に映ずる嵐山の大火の如し。…(金之助・明治24年7月18日)
(いけうち・としお 日本文化・文学研究家)
〈東京民報 2020年5月31日号より〉