夏の夜といえば、肝試しや怪談で背筋をゾッとさせるのも楽しみのひとつ。江戸の怪談「番町皿屋敷」や「四谷怪談」を思い浮かべる人も少なくないのではないでしょうか。おや、ちょっと待ってください。江戸の怪談は怖いだけではありません。江戸の文化や街並みと結びついているのを知っていますか。こよいはゾッとするだけでなく、江戸文化を研究する立教大学の滝口正哉特任准教授と一緒に江戸怪談の世界をひも解いてみましょう。
18世紀には人口が100万人を超えた巨大都市江戸。武家、町人がそれぞれ50万人いたといわれます。武家屋敷は番町(千代田区)や駿河台(同)に多く、主に中堅旗本が住んでいたといいます。「江戸の地域性が高い怪談の代表といえば、番町皿屋敷。江戸の初期、武家にまだ力のある時代のお話で、皿を割って主人の旗本に切り殺されて井戸に投げ込まれた奉公人の女性、お菊さんが井戸から顔を出してお皿を『1枚、2枚…』と数えるくだりが有名でしょう」と滝口さんは切り出しました。「知られるようになったのは江戸中期頃のことで、近世講談の祖ともいわれる講釈師の馬場文耕が広めました。歌舞伎や浮世絵などで作品化される中で、伝説が独り歩きした」と語ります。
「番町皿屋敷が今でいうブランド化していたことを物語るのは当時、麹町にあった常仙寺の略縁起です。秘仏の開帳の際に配った摺物(すりもの)で、この寺の何代か前の住職が供養をしたところ、幽霊となったお菊さんにもらったという皿を参詣客に見せたことを絵に描いたものが残っています。お寺の宣伝でしょうか」。こんなエピソードも教えてくれました。「ヒロインのお菊さんが帯を引きずってさまよったといわれる帯坂(千代田区九段南)があって標柱もあるのですが、彼女は屋敷内で死んでいるので、今もお岩稲荷で親しまれる四谷怪談と融合したのでしょうか。実態は不明で文化が拡散されて派生した一つの例です」
当時、江戸の旗本屋敷は数百坪から数千坪あり、高塀で囲われていて夜は人の気配がなかったことから、不気味だったのでしょう。幽霊坂や幽霊横丁も複数あるといいます。