6月は「牛乳月間」で、さらに6月1日は牛乳に対する関心を高め、酪農・乳業の仕事を多くの人に知ってもらう目的で〝牛乳の日〟と定められています。一般社団法人Jミルク主催のイベントの他、農林水産省もロックバンドの打首獄門同好会とコラボレーションでミュージックビデオを作成するなど様々な取り組みをすすめています。酪農といえば「北海道」を思い浮かべる人も多いでしょうが、近代酪農発祥の地は東京です。高層ビル群の狭間に残る東京の酪農の歴史を探訪します。
江戸幕府が滅び、文明開化の波が押し寄せるようになると食生活の変化も起こりました。また、日本に居留する外国人も増え、牛乳・乳製品の需要が高まったといわれます。外国人から政府高官などに広がった需要への対応ためと、諸大名の江戸屋敷廃止で廃墟となった跡が払い下げられたことで、職を失った武士階級に酪農が広がったといわれています。「ボーイズ・ビー・アンビシャス」の言葉で知られるウィリアム・クラークが札幌農学校(現・北海道大学)に赴任したのが1879年(明治12年)ですから、それより前の話です。
日本最初の近代牧場の発祥の地は、高層ビルに見下ろされるような都心。国会議員会館の間から急坂である山王坂を下った、都立日比谷高校と道を挟んだ日枝神社駐車場付近の看板に記されています。当時は保存・輸送技術も未発達の時代であったために、都心に牧場と西洋式搾乳所が設けられていました。
都心には当時の酪農の盛んさがわかる場所が多くあります。飯田橋駅(千代田区)近くの目白通り沿いから、東京農業大学発祥の地を眺め坂を登ると北辰社牧場跡地の指標も建てられています。
広尾(渋谷区)の七星(しちせい)舎ビルにある看板にはかつては牧場であり、1985年まで牛乳販売店であった記録が残されています。また同じ広尾の聖心女子大学は、外国から買い付けた苗や種畜の特性を把握し、北海道に送った開拓使第三官園跡地でした。
文京区には山縣(やまがた)有朋(ありとも)が出資した平田牧場もあり、看板が残っています。すぐ近くの護国寺境内には私立獣医学校発祥の地の石碑が存在し、この辺りで畜産が盛んだったことがうかがい知れます。