【生活保護の現場から】福祉あったから生きられた 自営業者 がん発覚でも休業補償なし〈2023年1月29日号〉

「かかりつけ医の紹介で都立病院に行った時は、S字結腸ガンのステージ4。福祉がなければ生きていなかった。55歳でした」と、当時を振り返る吉田礼子さん(仮名・77歳)。病院の医療ソーシャルワーカーの指示で区の福祉事務所へ生活保護の申請に4回もいったものの受け付けてもらえなかったと言います。現在は生活保護を利用して、都内の公営住宅で一人暮らしをしています。強い腹痛も、市販薬を飲んだり、お酒で紛らわせては働き詰めだったという吉田さんにこれまでを聞きました。

生活保護を利用しながら一人暮らしする家で話す吉田さん

 吉田さんは20代で結婚し1男1女に恵まれましたが、夫は働かずに殴る蹴るの暴力を振るったと言います。「しゃくに触ると殴る蹴るなのに、夜になると急に優しくなる。子どももいるから我慢していたんです。お金がなくなると実家に電話して借りました。当時は電話がないから近所のお寺に電話して呼び出してもらって『明日行くからお金を用立てて欲しい』と頼むの。子どもをおぶって行くと、親もあきれていたんだろうね。お米を持たせてくれたりしました」と語ります。DV(ドメスティックバイオレンス)の概念がない時代。今でも配偶者の暴力は「しつけ」とされることも少なくないため当時はなおさらです。

 夫の暴力を受けて痛みでうずくまる吉田さんを、当時3歳だった子どもが夫の真似をして足蹴にした時、「このままじゃ駄目だ」と、子どもを連れて着の身着のままで逃げ出しました。DVシェルターや女性相談センターも十分ではない昭和40年代、子連れで逃げ込む場所は夜の街しかありません。託児所と布団1組、ドレスが用意されているキャバレーに子ども2人を連れて駆け込みました。

 見かねた親が実家で子どもを預かってくれるよようになり、吉田さんは引き続き働いて養育費を送金し、休みや学校行事に子どもに会いに行く日々を過ごしました。

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