【 #Web東京民報 連載】26 死は罪をあがなえるか、龍之介と金之助
- 2023/2/5
- WEB版連載
明治28年12月28日、松山から上京した金之助(漱石)は、虎ノ門の貴族院書記官長の官舎で見合いに臨んだ。見合いから戻った金之助に兄が感想を訊いたところ「歯並みが悪くてそうしてきたないのに、それをしいて隠そうともせず平気でいるところがたいへん気に入った」と答えた。相手の鏡子は、見合い写真を持ってきた兄の直矩が「あばたはありませんよ」とわざわざ断ったのが気になり、見合いに同席した妹の時子も、金之助の鼻の頭にばかり目が行った。
後に芥川龍之介が金之助に「先生のような方でも女に惚れるやうなことがありますか」とぶしつけな質問をぶつけたところ「あばただと思って馬鹿にするな」という返事があった。金之助は「あばた」という自分のコンプレックスを象徴する言葉を聞く度に「馬鹿にするな」の後に続けて「俺にだって恋の一つや二つの経験はある」と言いたかったのを、ぐっと飲み込んだのではないだろうか。
そして人の心を見通す力が鋭敏であった龍之介は、大塚楠緒子の死に際して「ある程の菊投げ入れよ棺の中」という情熱的な哀悼の句を送った程の金之助に対し、さらに一歩進んで、なぜ「姦通でも心中でもしなかったのか、歯がゆかった」らしく(吉田精一「大塚楠緒」『日本文学評論 中世・近世編』より)、煮え切らぬ思いを感じていたようである。その逆に、漱石神社の神主とさえ言われていた門下生の小宮豊隆は、「漱石の内部の痛み、時代への痛憤といったものには、全く無縁であった」と井上百合子に指摘されたように、「(漱石と楠緒子の)両方の態度などいつも美しいものでした」と、完全に煙に巻かれていた。
金之助は心中や自殺に対して、松根豊治郎には「心中するも三十棒/朝貌や惚れた女も二三日 心中せざるも三十棒/垣間みる芙蓉に露の傾きぬ」の句を送って「以来心中ヲ論ゼズ」、女性問題抜きに来るように伝えた。もっとも手を焼いた森田草平には、「死ぬのもよい。しかし死ぬより美しい女の同情で得て死ぬ気がなくなる方がよかろう」と、心中よりその顛末(てんまつ)を文章に書く方を勧めている。また龍之介と同じように金之助の「山脈」に晩年に加わった江口渙には「無理に生から死に移る甚だしき苦痛を一番厭ふ、だから自殺はやり度くない」と語っている。さらに『心』の主人公が乃木希典の殉死に合わせて自殺したのを、森田草平は「(罪は)科学的には消えないが、心理的には消える」と言ったのに対し、金之助は「許されるはずだろう。生命を断ち切って謝罪するのだから」と答え、江口は「自殺するなんて、卑怯ですよ、生きていてもっと苦しまなけりゃ」と反対の意見を述べた。龍之介は二度の未遂を経て服毒自殺し、自殺の苦しみを怖れた金之助は宿痾(しゅくあ)の胃病に悩まされながらも小説を書き続けた。(終わり=いけうち・としお 日本文化・文学研究家)
〈東京民報 2021年2月7日号より〉