
虫の詩人の館・ファーブル昆虫館はJR田端駅から動坂をあがった先、千駄木の閑静な住宅街のなかにあります。
昆虫という、もっとも小さいものの中に、最大の驚きがかくされている
フランスの昆虫学者アンリ・ファーブルは南フランスの自然のなかに生息する虫たちを採取、研究、新しい発見を重ね、近代自然科学の分野に大きな足跡を残した研究者であり、詩人でもありました。

その成果は10巻にも及ぶ「昆虫記」として遺されました。「昆虫記」は母国であるフランスではなかなか広まることはありませんでしたが、ファーブルの経済的困窮を救済するための「ファーブルの日」が1910年の4月3日に友人や弟子などの手で開催されたことで世界にファーブルの業績が知られることになったのです。
日本ではファーブル死後からわずか7年後に、大逆事件で豊多摩刑務所に収監されていた社会主義者・大杉栄の手で翻訳され世に送り出されました。
その後、「昆虫記」はファーブルの名とともにくり返し翻訳・発刊され、児童書としても親しまれて来ました。日本で「昆虫記」が広く読まれる理由について、「ファーブル昆虫記」(全8巻)を翻訳された奥本大三郎氏が「日本人が虫が好きな民族だから」と示唆されています。
「昆虫館」はNPO 日本アンリ・ファーブル会が管理運営。昆虫観察&採集会・標本教室などが随時催されるとともに、土日の午後には会員の皆さんの手でドアが開かれ、展示見学が出来ます。
展示室ではファーブルの直筆ノートや資料、オオクワガタなど「昆虫記」ゆかりの昆虫の標本などが所狭しと展示されています。また、地下にはフランス、サン・レオン村のファーブルの生家(現民族博物館)が復元されています。
小さな館ですが昆虫の世界と館を支える若い人たちの輝く瞳に無限に広がる世界を感じました。
森鴎外記念館
千駄木は文人ゆかりの土地でもあります。昆虫館の前の道を南に向かって歩みを進めると「智恵子抄」を書いた高村光太郎の旧居跡に出ます。また、この地は革命文学者宮本百合子が没したところ。実家の中條家のあずき色の門柱が遺されています。

団子坂に出ると森鴎外記念館。森鴎外は日清・日露の戦争に従軍した経験をもつ軍医官僚でしたが、島崎藤村の「破戒」、夏目漱石の「坊ちゃん」、田山花袋の「蒲団」など日本文学の画期となった新時代の文学作品が発表される時代潮流のなかで、「感じる事を書けるようになる機運」を感じとり、赤裸々な生活を描いた「ヰタ・セクスリアス」を発表、小説家としての歩みを進めました。しかし、1910年の大逆事件を契機に、多くの文人が社会に対する扉を閉ざし、私小説世界、狭い文壇的世界に閉じこもったのに対して、「ヰタ・セクスリアス」の発禁処分と戒飭かいちょく(処分)をうけた森鴎外はあらわに表出することはなくとも、この逆流に抗い、歴史小説の舞台を借りて封建制の過酷さと個の意味を追求しつづけたのでした。
無政府主義と、それといっしょに芽ざした社会主義との排斥をするために、個人主義という漠然たる名をつけて、芸術に迫害を加えるのは、国家のために惜しむべきことである。
学問の自由研究と芸術の自由発展とを妨げる国は栄えるはずがない。
文芸の主義
田端駅前には「田端文士村記念館」があります。
六義園

JR駒込駅近くの六義園にはコミュニティバス・B―ぐるが便利です。
六義園は江戸初期・元禄時代に桂離宮の庭園の様式で造られた「回遊式築山泉水庭園」。造園当初から江戸の名園の誉れの高かった大名庭園です。作庭は中国の古い詩経の「六義」を意趣とし、大泉水を中心に紀州・和歌の浦の景勝を映したものとなっています。
末延渥史
(東京民報2023年4月2日号より)