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- よみがえれ「天下の名園」 築地跡地に眠る「浴恩園」〈2024年9月8日号〉
現地再生を求めて勉強会
都内最大級といわれる再開発計画が、非公開で進む築地市場跡地(中央区)。三井不動産を代表企業とする11社の企業連合が、5万人収容のスタジアムを中心とした大規模な商業複合施設の建設を計画している同跡地の下には、都が旧跡に指定した、江戸時代の庭園「浴恩園(よくおんえん)」の遺構(6.1ヘクタール)が静かに眠っています。この「天下の名園」とうたわれた浴恩園を現地によみがえらせようと、市民でつくる「築地市場跡地再開発『浴恩園』を再生させる会」は8月25日、貴重な歴史と文化、自然を守るための学習会を、中央区内で開きました。

浴恩園(下屋敷全体で約21ヘクタール)は、江戸時代後期に老中首座となり、「寛政の改革」を進めた松平定信(1758~1829年)が作庭。8代将軍・徳川吉宗の孫にあたり、身分を越えて「士民」が共に楽しめる現在の「南湖公園」(福島県白河市)など、生涯で5つの庭園をつくりました。
浴恩園は定信が老中の引退間際に譲り受けた一橋家の屋敷地を、造園したもの。「春風の池」と「秋風の池」という、江戸湾の海水が流入する2つの潮入りの池を中心とした池泉回遊式庭園で、潮の満ち引きや魚釣りなどが楽しめました。「春風の池」の周囲は「桜ヶ淵」と呼ばれる桜の名所として知られ、「秋風の池」は紅葉で彩られ、池には日本中から集めた蓮を浮かべるなど、四季で表情が変わる色彩豊かな景色は奥深い美しさがあり、多くの文化人との交流の場にもなったとのことです。
定信が死去する間際の1892年(文政12)、文政の大火により浴恩園の下屋敷が焼け落ちたとされていますが、2つの池から成る庭園は焼失を免れました。