私たちは「人権」という言葉をよく聞き、用いますが、この社会で人権は本当に守られているのでしょうか。生活保護費の減額は違法だとして、国や地方自治体と係争中の“いのちのとりで裁判”では、大阪府と愛知県の裁判で2025年に国が最高裁で敗訴したものの謝罪はなく補償も不十分なことから、原告らは「人権が侵害されたままだ」と主張します。日本に限ったことなのでしょうか。裁判を支援する“いのちのとりで全国アクション”の活動を行い、社会保障法を専門とする愛媛大学副学長の鈴木靜教授に聞きました。
―人権について日本と諸外国では、似て非なるもののように感じます。

鈴木 日本だと「人権を保障する」ということが理念として語られるにとどまっています。国際的には、人権は生きていくために不可欠な権利として、時代と共に豊かに発展しています。豊かというのはぜいたくではなく、必要なケアなどの社会保障を当然に受けられて、安心して住めるような仕組みを整え、具体的に保障されるように変わってきています。
ことば いのちのとりで全国アクションとは 2013年分から平均6・5%、最大10%の生活扶助基準の引き下げが当時の自公政権によって決められ、3回に分けて実行された史上最大の基準引き下げに対して、全国29都道府県、1000人超の原告が国・自治体を相手に違憲訴訟を提起している行動。東京では3原告団が存在し、東京高裁で全ての裁判で勝訴しています。一方で裁判は国が争う姿勢を崩さないために複数件で進行中です。
―国際的に遅れているという具体例を教えて下さい。
鈴木 7月12日からスイスのジュネーブで高齢者の人権に関する政府間作業部会が開かれました。高齢者の問題をケアや医療の問題だけでなく、高齢者の人権を保障する法的文書として高齢者の人権条約を作ろうと始まったところで、3年ほどでまとめようというものです。
日本の場合、ケアなどの要求に対して、行政側が「お金がないのでできません。既存の制度でなんとかしてください」となり、「自己負担を増やす、家族に押し付ける」結果になることが度々あります。この発想自体がもう国際的にはかなり時代遅れです。国連からは作業部会が始まる前に、日本をはじめ加盟国やNGOに「これから作る法的文書をどのようなものにしたらよいか」という宿題が出されました。
しかし日本政府は「報告書の作成や条約機関の活動に伴う財政的影響、他の既存の人権条約との重複、人権の概念が無限に拡大することの懸念などを視野に入れる必要がある」と言っている。高齢者の人権と言った時に、まず財政的影響や人権の無限の拡大を懸念するとは、高齢者が生きる現実を見ておらず、また国際動向がわかっていないと言わざるをえません。
一方で、国際的には「日本は高齢化が進んでいても上手くやっている国」だと思われています。これまでニューヨークで開かれていた高齢化作業部会で、私も参加しているNGOが「日本には介護保険はあるけれど、家族による介護心中、介護自殺がある」と言うと驚かれます。
人権根付かず、差別も未だ
―日本で人権が根付かないのはなぜでしょう。










