〈街角の小さな旅〉牧野記念庭園と大泉学園町 採取した植物と愛用の道具たち〈2026年9月6日号〉
- 2026/9/5
- 街角の小さな旅
牧野記念庭園は日本を代表する植物学者・牧野富太郎が晩年を過ごし、自ら全国各地で採取した草木を育成し、「我が植物園」と大切にした庭園を保存・公開(記念館は新設)しているものです。
牧野富太郎は日本が封建制からの脱却、西欧に学んで近代化、資本主義の道を模索しはじめた幕末に生を受け、幼く寺子屋で読み書きを習い、12歳の時に伊藤蘭林という儒学者が開いた家塾で習字、算術、四書、五経などに触れ、さらに旧藩主が開いた現在の高等学校の教育水準に匹敵する郷校名教館で当時としては最先端の西洋の学問であった地理、天文、物理を学びました。牧野はこの名教館で植物の本に出会い、また、高知中学校の教員から植物学という新しい科学を教えられ植物学の学徒としての歩みをはじめました。

やがて上京し、東京大学理学部植物教室に出入りし、「日本植物志図鑑」を刊行するなど着実に研究者としての地歩を固めることとなりました。
牧野は小学校中退以降学校教育を受けていず、独学で植物学を学んだといわれていますが、この出自を見ると、日本の学制の黎明期に私塾や藩制の学校で学び、また、東大の研究室など先端の学び舎で教えを授けられた学徒であったことは明らかです。
牧野の実家は雑貨商と酒造業を営み、「佐川の岸屋」と呼ばれた裕福な商家で、幼くして両親を亡くしたものの富太郎の秀逸な才能を見抜いていたものと思われる祖母の庇護のもと、店が没落するまで、祖母の支援で研究活動に没頭。祖母は牧野が欲した高額な和本の「本草綱目」などの書をすべて買い求め、牧野に与えていました











