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吉良よし子物語 4 日本共産党参院東京選挙区予定候補

「意志の強い娘です」 両親の愛情受け育つ

大学卒業を祝い、家族そろって。

左から父、弟、吉良さん、母=2005年、3月東京で
 吉良よし子さん(参院東京選挙区予定候補)は高知市で生まれ、育ちました。両親と弟の4人家族です。父の富彦さん(59)は教員を辞して共産党の高知市議となり、現在県議2期目。母の純子さん(57)は小学校の教員を勤めています。弟の創太さん(23)は東京に在住し、現在、音楽大学の院生です。

姉は頑固 やると決めたらやり抜く

 吉良さんの立候補は、家族にとってまさに「晴天の霹靂(へきれき)」でした。今度は国政への挑戦です。そんな娘に両親は驚きを隠しきれませんが、家族そろって応援しています。3月末、吉良さんたちを励ます「女性の集い」が開かれ、創太さん率いるジャズバンドもかけつけて応援演奏。創太さんは「姉はがんこです。やるときめたらやり抜く性格。健康にも気をつけて頑張ってほしい」と挨拶しました。

腰抜かすほど驚く

 市議、県議を経験している富彦さんは、国政に挑戦する責任や厳しさをよく知っています。娘の立候補は、全く予想もしなかったことだけに「腰を抜かすほど驚いた」と言います。しかし、真剣に悩む娘の思いを尊重し、「4年間の会社勤めで実感したことを生かせるのは政治の道しかないのでは」と助言。その一言が吉良さんの政治家への道を決意させました。参議院への挑戦についても「必要とされているのなら、正面から受け止めるべきではないか。その覚悟はあるのか」とアドバイスしたと言います。
 子どもの頃、吉良さんは「静かでおとなしい反面、一度決めたらやり通す子」(両親)だったと言います。小学2年生から高校までモダンバレエを習いました。「・花形”でもなかった」のに、高校受験の際にも1日たりとも休みませんでした。大学進学の時も自分で大学を探し歩き「絶対に早稲田大学に行く!」と決め、がんばりました。共産党への入党も自分で決め、両親には事後報告でした。

大学の合唱サークル定期演奏後、胴上げされる吉良さん

みんなに依拠して

 吉良さんは子どもの頃から、母の影響を強く受けました。読書好きだった吉良さんの周りには、両親の集めた本がたくさん。戦争や平和をテーマにした絵本もありました。純子さんが憲法前文を読んで聞かせてくれたこともあります。「平和」の大切さや「憲法」の素晴らしさを教わりました。
 バレエの他にピアノも習い、早稲田大学時代は合唱団に入って指揮者もするなど、いつも音楽に親しむ環境にありました。合唱団には今も参加し、映画や演劇が大好きです。
 純子さんは振り返って言います。
 「私たちの姿を娘なりに批判もしつつ、受け止めてくれていたのですね。最近、腰が据わってしっかりしてきた感じで、私の方が意見されるくらいなんですよ」
 4月に入り、都内各地での演説会が目白押し。吉良さんにとっては”選挙本番”です。純子さんは期待を込めて言いました。
 「いつも笑顔を忘れず、一人でも多くの人たちと一緒に、希望や未来を語ってほしい。どんなときでも、よりよい社会を願う方々と一緒に歩める喜びを糧にして、頑張り続けることを願っています」
 富彦さんは”大きな挑戦”に、先輩としてエールを送ります。
 「自分で全て解決しようと思わず、みなさんに依拠しながら一緒に悩み、頑張ってほしい。未熟なのだから分からないことは分からないと言い、自然体で頑張れる候補者であるように。よし子が・大きな仕事・に挑めることを、私はうれしく思います」
(終わり)
  


(東京民報2013年4月28日号に掲載)

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