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大田区 大森海苔のふるさと館

40万人訪れたミニ博物館 漁師の思い語り継ぐ

元漁師から海苔切りの説明を受ける人たち

=海苔のふるさと館
 江戸時代から大森海苔のふるさととして生産が盛んだった大田区大森は、全国有数の海苔漁の歴史を今に残している町です。1963年に水質汚濁や湾内の埋め立てなどによって漁業を断念した後も、この地に住み続けた元生産者や地域の人々の強い願いで、博物館「海苔のふるさと館」が2008年にオープン。開館後の5年で4万人が訪れているといいます。休日に開かれる海苔付け体験を取材すると、元漁師らの姿がありました。
 「遠浅で波静かな大森の海は海苔養殖に適していた」。元海苔漁師が海苔付け体験に集まった60人程を前に話します。
 当時、目の前の海は“家の下”といわれ、江戸時代には見渡す限り“ひび”とよばれる粗朶木が立ち並び、その枝に育つ海苔を摘み取っていたといいます。
 別の生産者は、厳しかった冬の海苔漁を話します。
 「11〜3月、海に出て海苔を摘むと水が冷たくて手の感覚がなくなる。そういう時はわざと手を舟のへりにぶつけたりして働きました」
 漁師たちは、東京オリンピックを控えた1962年12月、内湾の漁業権放棄を大森漁業協同組合の臨時総会で決めました。その後、ほとんどの人が会社員やアパート経営者に転職。半世紀後の今、ふるさと館で海苔の歴史を話すことを楽しみにしています。

重要有形民族文化財の海苔船。ベカと呼ばれる一人乗り小舟を乗せてゆく

=海苔のふるさと館

元生産者が教える

 館内の海苔付け場で元漁師の田中正一さん(73)が、海苔作りの最初の工程、海苔切りを始めました。まな板を囲むように立つ子どもたちに「漁師をしていた時、毎朝2時にその家の女の人が生海苔を切るすごく大きな音で眼が覚めた」と田中さん。数種類の海苔切り包丁を出して実演した後、田中さんは大正の頃に作業を合理化するために使われていた「突き包丁」を手に説明しました。子どもたちが興味深そうに見上げます。
 海苔付けは、海苔簀を敷いた四角い枠に生海苔をむらなく流し込む作業です。
 グループに分かれると元漁師の父親を持つ小宮武さんが「うまくやろうと思わないこと。これは、欲のある大人より無欲な子どものほうがうまい」と声をかけ、子どもたちの顔に安心したような笑顔が広がりました。
 博物館の魅力について、学生ボランティアの佐々木勇輔さん(専門学校2年生)は「生産者に学べることだ」といいます。この日は横浜市金沢区の小学校教員も見学に来ていました。
 この教員は「金沢区でも野島で海苔の生産が行われていますので、学校ではこの数年、地域の漁業の授業をしています。野島では工場生産ですが、ここは人の手で作っていて素晴らしい」と話しました。
 海苔付けを教えている人たちは、東京湾北部地域の海苔漁の最後の漁師です。「大森で漁師をしていた者は、すぐ分かる。海苔を採る利き腕がもう一方の倍も太くて真黒で手が大きいからだ」と地域の人は話します。

漁業権放棄に泣いた夜

 東京湾内湾の海苔漁業は1955年頃から見られ始めた工場や生活排水などによる水質汚染によって大きな打撃を受けました。
 さらに、埋め立てを促進しようとする「東京港港湾整備計画」、東京オリンピックを前にした首都高速道路1号線、モノレール建設が大森の町を一変させ、暮らしを変えていきました。
 博物館は5月6日、漁業権放棄をめぐり嵐寛寿郎扮する主人公の漁師の一家の葛藤を描いたNHKテレビドラマ「海の畑」のビデオを上映。多くの元漁師、地域住民らが鑑賞しました。
 上映終了後、漁業権放棄を決めた62年12月1日の大森漁協臨時総会と翌年3月まで行った最後の漁が終わった日のことを中村博さん(NPO海苔のふるさと会副理事長)が「とにかく全員が泣いていた。私もトイレに入って泣いた。300年の漁に終止符が打たれることを惜しむ気持ちはみな同じだった」と振り返りました。
 映画を見に来た人の中には、1960年代、大森の海苔漁業者を撮影した報道写真家の日高勝彦さんもいました。日高さんは貴重な写真を小冊子にしようと考え、当時の人の名前などを尋ねようと訪れていました。日高さんがアルバムを開くと興味深そうに古い写真を見る漁師たち。大森の漁師の中でも歴史ある家の鳴嶋享郎さん(74)が「この女性はうちの親類だ」と言って日高さんを喜ばせました。
 博物館職員の五十嵐麻子さんは館を自分たちのものとして支えてくれる人や団体のネットワークをつくりたいと考えています。「昔のままの海苔養殖の技術を再現できれば、近隣の小学生に見せてあげられる。子どもの学習をさらに手厚く援助することもできる」(五十嵐さん)。身近な海と海辺を大切にする町をつくる新たな挑戦です。

大森海苔のふるさと館

 2008年4月、大田区が平和の森公園内に建設した専門分野のミニ博物館。NPO法人「海苔のふるさと会」が受託し自前で運営している。展示品には国指定の重要有形文化財が多数。毎年、11月後半から4月まで海苔付け体験を開くほか、7〜8月、浜辺の生き物探検隊を、9月には海苔簾づくりなどを開いている。開館時間 通常9時〜17時。夏季のみ19時。休刊日月曜日。

(東京民報2013年6月2日号に掲載)