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- 日本初の鉄道遺構 高輪築堤の全面保存を 「奇跡」の浮世絵が現実に
日本の近代化を象徴する鉄道の開業から2022年で150年を迎えます。その節目を前に、JR東日本が推し進める巨大都市開発「品川開発プロジェクト」の計画エリア、高輪ゲートウェイ駅の西側(港区)から、国内で初めて開業した鉄道の遺構「高輪築堤」が出土し、保存を求める声が高まっています。
高輪築堤は1872(明治5)年に東京・新橋から横浜(現・桜木町)の約29㌔を結ぶ国内初の鉄道が開通した際、当時は海だった現・田町駅から品川駅付近の約2・7㌔区間に、線路を敷設するために築かれた堤。遠浅の海に築堤した海上路線は評判となり、蒸気機関車が黒い煙を吐きながら海の上を走る光景は、浮世絵にも鮮やかに描かれています。
今回はその築堤が約1・3㌔にわたり、ほぼ当時の姿を維持したまま残存が確認されています。文化的価値の高さから現地保存を求める声が相次ぎ、萩生田光一文部科学相は16日、JR東日本や港区長、有識者らとの懇談・意見交換を目的に、現地を視察しました。
鉄道史の幕開け伝える 関連学会も保存求める
高輪築堤出土の経緯は、2019年4月の品川駅改良工事で、石垣の一部が発見されたことに端を発します。明治後期から周囲の埋め立てが始まり、築堤はすでに取り壊されていると考えられていましたが、翌年3月に開業するJR高輪ゲートウェイ駅完成に向けての線路切換工事以降に調査を進めると、旧山手線・旧京浜東北線の線路下から極めて良好な状態で築堤が見つかりました。
現在は教育委員会などの関係者と連携しながら、築堤全体の検出、内部構造などに関する調査を実施しつつ、保存や公開展示などについて検討しています。
石垣や今回出土した第7橋梁の橋台には、江戸城などにも利用されている在来の土木技術と、西洋の鉄道技術が融合。橋梁の下は東京湾につながる水路が設けられており、漁業や運輸のために舟が行き来する当時の人々の暮らしがうかがえます。
海中という足場の悪い環境での手作業にも関わらず、文献によると着工からわずか2年で開業できたことにも圧倒されます。
港区立郷土歴史館の学芸員、川上悠介さんは「これだけよい状態で出てきたということに驚いている。日本の鉄道史の幕開けを伝える最も重要といえるものが、鉄道開業150年を目前にしたこのタイミングで発見されたことにも運命を感じる。現状保存してほしい」と語りました。
16日に有識者として視察に参加した、高輪築堤調査保存等検討委員会委員長の谷川章雄早稲田大学教授は「浮世絵にも描かれている明治時代の風景の一部が、現実となって現れたのは奇跡的。30年以上東京の遺跡発掘調査に関わってきたが、このような遺跡に出合えるとは思わず、非常に幸せ」と喜びを口にしました。
今後、築堤が出土した開発エリアには170㍍前後の複合ビルが4棟そびえ立つ予定で、JR東日本は2024年の完成を目標にしています。現時点で都市計画の変更は示されておらず、全面的な現地保存は難しいとして、移築も視野に検討していると報告されています。
萩生田文科相は、「貴重な文化遺産を現地で保存・公開ができるよう、検討いただく旨をお願いした。この遺構は移設してその価値が保存される性格のものではない」と保存に理解を示し「JRはかつて国鉄であり、国民共有の財産でもある」と発言。一方で「JRも長い年月をかけて積み上げてきた計画がある。単純に設計や工区を変更しろなど、無責任なことは言えない」とも述べ、関係者への知恵出しを求めました。
すでに産業遺産学会と考古学協会も、関係者らに要望書を提出。産業遺産学会は発掘規模での保存と、見学・公開をJR東日本に求め、考古学協会は全面的な現地保存に向けて、JR東日本に開発の抜本的見直しを要求しています。
共産党区議団は昨年11月の第4回区議会定例会で保存と見学会を求め、18日に開かれた本会議では、福島宏子区議が代表質問に立ち、高輪築堤は国民全体の貴重な財産と訴え。JR東日本に完全発掘と現地保存の要請、現地見学会の開催を提案しました。港区長は「国内初の鉄道開業時の歴史や技術を継承できるよう、開発等、両立の観点から区や都と連携し、適切に対応する」と答えました。JR東日本の動向が注目されています。
【東京民報2021年2月28日号より】