私たちの上に、今日、青空が広がった 「らい予防法」」違憲国賠判決から20年〈2021年6月27日号〉
- 2021/6/27
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「私たちの上に、今日、青空が広がった」ー2001年5月11日、「らい予防法違憲国家賠償請求訴訟(国賠訴訟)」原告団の曽我野一美代表が勝訴判決後の記者会見で発した喜びの言葉です。熊本地裁で「国の隔離・差別を推進する政策は誤りだった」とする判決が言い渡され、その後に国が控訴断念し判決が確定。国は「おわび」をし、ハンセン病回復者補償の他、偏見や差別をなくすための対策への義務が課されました。あれから20年、人間の尊厳回復に立ち上がった人たちの歩みと意義を、「国立ハンセン病資料館」(東村山市)の国賠訴訟判決20周年ギャラリー展の展示資料をもとに振り返るとともに、戦いを引き継ぐ人々を紹介します。

人権を守る歩み、未来へ
ハンセン病は古くからあった末梢神経や皮膚に異常が出る感染症です。顔や手足に変形が残るために差別を受けてきました。
かつては遺伝するなどとの誤った認識の下で「らい」と蔑視され、国家による強制隔離政策がとられていました。日本では1996年の「らい予防法廃止」まで90年に渡り、激しい差別と人権侵害にさらされてきました。
療養所の実態明らかに
国賠訴訟のはじまりは1998年7月31日、菊池恵楓園(熊本県)の入所者4人と星塚敬愛園(鹿児島県)入所者9人の13人が、「国のハンセン病政策と人権侵害の事実認定と謝罪および補償」を求めて熊本地裁に提訴したからでした。
国賠訴訟のきっかけをつくった島比呂志さんは裁判を起こすに至った経緯を、裁判への支援を呼びかけるために自費出版した本『裁判に花を』で「余りにも国の無責任、不合理、矛盾、曖昧さが黙認されています。これでは、入所者の人権回復はもちろん、ハンセン病への偏見差別が無くなる日は訪れないでしょう。私はこの裁判によって、ハンセン病の歴史と国の責任が明らかにされることを望んでいます」と述べています。同書はギャラリー展で紹介されています。

また、原告の志村康さんは、口頭弁論で子どもの位牌を鞄に忍ばせ「わが子と一緒に陳述をしている」と、自身の発病と入所の経緯、療養所で職員から受けた被害、家族の苦しみ、妻の中絶を語りました。
裁判で語られた被害の実態に対し、各療養所に裁判官が出向いて調査するなど異例の対応がとられ、裁判を大きく動かしました。
各療養所でも裁判の輪に加わる動きが見えてきた一方で、当事者の葛藤も根強いものでした。東京地裁に提訴した原告、谺雄二さん(栗生楽泉園共産党支部長:群馬県)は最初、何十年も音信不通の姪が東京に住んでいたために、累が及ぶと思い提訴をためらっていたといいます。
提訴後の陳述書では、「母親がハンセン病であったため家が消毒を受けたこと、長男が失踪し長女が離婚したこと、母が自殺をしようとしたことや、少年寮では参観者から『非国民』と言われたこと、すぐ上の兄が入所し戦中に母は餓死、兄も看護のしすぎで亡くなったこと」などを記しました。「らい予防法廃止法には隔離政策の謝罪や賠償もなく、亡くなった療友のためにも裁判に立った」と述べていたといいます。
こうした原告らの声に国は当初、反省するどころか争う姿勢を見せました。さらには邑久光明園(岡山県)の霊安解剖棟が解体されそうになり弁護団が証拠保全を申請。保全のため訪れ、棟内の多数の臓器の検体と胎児の標本に手を合わせ、涙を流す裁判官もいました。
裁判官の現地調査は東京地裁でも行われ、2000年3月7・8日に検証が実施されました。栗生楽泉園の「重監房」や患者作業による被害を入所者自らが説明。裁判長は、「原告のみなさんは長い間本当にご苦労をされたことと思います。今、私はここを去りがたい思いでいます。このことは私も忘れることはありません」と検証後に述べたといいます。
裁判の輪は原告、支援者ともに大きく広がる一方で第1次提訴の13人に対して国賠訴訟提訴後、「一億円(賠償請求金額)が歩いている」との誹謗中傷、施設の利用や勧誘の禁止などの措置が取られた様子も記録に残っているといいます。

若い世代に受け継がれ
国賠訴訟のたたかいは次の世代にも受け継がれています。2016年6月、熊本地裁にハンセン病患者の家族が、国に謝罪と損害弁償を求めて提訴した「ハンセン病家族国家賠償請求訴訟(ハンセン病家族訴訟)」には若い弁護士も関わっています。田村有規奈弁護士もその一人です。同訴訟は2019年6月に国の責任を認める判決が出されました。
田村弁護士が弁護士を志したきっかけは、大学で国賠訴訟を学んだことでした。弁護士1年目から家族訴訟の弁護団に加わり、全国を回りハンセン病回復者の家族の聞き取りを行うなどしてきたと言います。田村弁護士は「家族訴訟の勝訴は感慨深かったのですが、国の責任は認められたものの、賠償金額は低く手放しで喜べないものでした。しかし、国の救済制度がより充実した内容になったのは、国賠訴訟判決確定後も原告団や弁護団が国との懇談を丁寧に積み重ねてきたから」と指摘。「回復者家族は点在していて、つながりもありません。孤立してしまわないように話せる場や寄り添うソフト面の充実も必要。差別の解消は社会が関わらないといけない」と訴えます。

※国立ハンセン病資料館ユーチューブのチャンネルでは“「らい予防法」廃止から25年 国賠訴訟判決から20年、その意味と意義を語る”が配信中です。
東京民報2021年6月27日号より











