戦後76年を迎えるも、依然として国家補償や援護が認められない民間空襲被害者、沖縄戦・南洋戦の民間被害者、外国籍元BC級戦犯者、シベリア抑留者を支援する4団体が11日、戦後処理問題のすみやかな解決を求めて記者会見を開きました。
民間人の戦争被害者は国と雇用関係になかったこと、また、「国民等しく受任すべき」と我慢を強いる「戦争被害受任論」を盾に、政府は補償を拒み続けています。
4団体は「民間人も植民地も巻き込んで国策として遂行された戦争の犠牲を、不公平に押し付けたまま」と強調。犠牲を強いた事実を認め、責任を自覚し、調査を行い、不十分でも象徴的な償いを国策として行うように訴えました。
全国空襲被害者連絡協議会の黒岩哲彦運営委員長は、「米軍による市民への無差別爆撃は明らかに国際法(国際人道法)違反」と指摘し、「核兵器禁止条約が国際法として確立した。日本原水爆被害者団体協議会の運動に学び、国際活動を活発に展開していきたい」と決意を述べました。
オンラインで参加した大阪空襲訴訟を伝える会の安野輝子さんは、6月に閉会した通常国会でも空襲被害者救済法案の提出が見送られることになったなかでの下村博文自民党政調会長による「戦後処理問題はすべて終了した」との発言に言及。「戦後、国から援護がなく、貧困にあえぎ、爆弾の傷によって差別され、地を這うように生きてきた空襲被害者を放置したまま」と悔しさをにじませます。「法案に反対する政治家たちは、私たちが死ぬのを待っているのでは。子や孫のためにも負けるわけにはいかない。戦後世代とも手をつなぎ、最後まであきらめない」と力を込めました。
沖縄戦、南洋戦・フィリピン戦被害・国家賠償訴訟の弁護団長を務める民間戦争被害の補償を実現する沖縄県民の会の瑞慶山(ずけやま)茂さんは、沖縄戦、南洋戦・フィリピン戦ともに、日本国憲法の下での裁判でありながら、旧憲法の「国家無答責」の法理が適用され、敗訴が確定した経緯を説明。「司法では解決できない。本土のみなさんと連帯して、立法府で解決するしかない」と主張しました。
今年3月に96歳で亡くなった韓国・朝鮮人元BC級戦犯者「同進会」の李鶴来(イハンネ)会長の妻、姜福順(カンプジュン)さんが登壇し、「夫はさぞ無念であったろう。最後まで戦犯問題解決のためにがんばった」と回顧。朴來洪(パクネホン)副会長の父は捕虜監視員としてジャワに配置され、戦犯裁判で15年の刑に処されました。日本人として拘禁され続けたにも関わらず、釈放後は外国人として一切の援護から外され、日本に身寄りのない彼らの生活は困窮。「なぜ日本の戦犯として罪を負わねばならぬのか。なぜ日本政府から謝罪も補償もないのか」と、朴副会長は父の思いを受け継ぎ、一刻も早い立法の実現を訴えました。
シベリア抑留体験者の西倉勝さんは、コロナ禍で2年間ロシアへの訪問ができず、実態調査や遺骨収集が進んでいない状況を紹介。シベリア抑留犠牲者遺族の小林晃さんは、父が満州でソ連軍の捕虜になり、1947年に39歳で病死しました。その事実を知らされたのは2015年。収集された遺骨をDNA鑑定しましたが、いまだに特定できていません。小林さんは「未帰還の戦没者、行方不明者、未収集の遺骨が多く、遺族の悲しみは絶えない」と憤り、国策による犠牲者の尊厳を守り、誠意ある対応を政府に求めました。
〈東京民報2021年8月22日号より〉