【街角の小さな旅13】横網町公園と隅田川

大震災と空襲犠牲者を追悼して平和を祈念

関東大震災の被害を伝える資料を展示する復興記念館

 98年前の1923年9月1日午前11時58分。相模湾の相模トラフ(海溝)を震源とするマグニチュード7.9の激しい地震が関東地方を襲いました。被災者340万人以上、死者行方明者14万人を超え、火災による死者は全体の88%に及ぶ9万2000人に達しました。

 なかでも現墨田区横網町公園=当時陸軍被服廠(ひふくしょう)跡地では3万8000人もの人が火災旋風に巻き込まれ命を失いました。

 当時、被服廠跡地は公園に整備するために空地となっており、無数の被災者が家財を積み上げた大八車や蒲団などを持ちこみ、身動きもままならない状態となっていました。そこに他所から火の手が伸び、またたくまに火災がひろがり、猛熱で人が着ている衣服がぱっと自然発火、人が火災旋風で空中に舞い上げられたりする悲惨な事態に追い込まれました。

屋外ギャラリーの震災遺物

 公園にはこの惨劇で亡くなった犠牲者を納骨した慰霊堂、惨劇を後世に語り継ぐための復興記念館があります。復興記念館には激震で記録の針が振り切れた地震計の記録紙や11時58分で針が止まったままの時計、溶解した器具などの資料や被害の記録写真などが展示されており、地震災害のすさまじさを伝えています。また、屋外には高熱で溶けた丸善ビルの柱や車両、印刷機など大型のを納めるための霊堂として建設されたもので、堂内には小田原の津波や被服廠跡地での火災旋風などを描いた大きな絵が展示されています。

 関東大震災では憲兵隊による社会主義者の大杉栄や労働活動家の虐殺、自警団などによる6000人を超える朝鮮、中国の人々の虐殺がおこなわれました。公園内には朝鮮人犠牲者追悼碑があり毎年9月1日に慰霊式典がおこなわれています。この式典には歴代の都知事が追悼の辞を寄せてきましたが、小池都知事はこれを拒んでいます。

 震災遭遇児童慰霊碑は大震災で亡くなった東京市内の小学児童約5000人を追悼するため建立されたもの。梵鐘=幽冥鐘は遭難死した死者を追悼するために中国仏教徒から寄贈されたものです。

関東大震災の朝鮮人犠牲者追悼碑

 第2次世界大戦の末期、戦争継続をすすめる日本に対してアメリカは全国の都市で無差別爆撃をおこない、とりわけ首都東京の区部への空襲は60回を超え、罹災者は約300万人に及び、確認された死者は約10万5000人を超えました。空襲犠牲者を追悼し平和を祈念する碑のなかには東京空襲犠牲者名簿が納められています。

 また、慰霊堂には10万人を超える空襲犠牲者の遺骨があわせて納骨されており、復興記念館では大空襲の資料が展示されています。

旧安田庭園

 横網町公園と隣り合わせに旧安田庭園があります。もとは大名家本庄松平氏の下屋敷で、池があり隅田川の水を取り入れ、江戸湾の潮の干満による池の眺めの変化を鑑賞する汐入回遊式庭園として造成されたものです。訪れたときにはアオサギが翼を休めていました。

隅田川テラス

 公園のすぐ先は隅田川。この辺りは海抜ゼロ㍍ですから、高い堤防にさえぎられて川は見えません。堤防を越えると護岸を親水施設にした隅田川テラスに出ます。上流に架けられている吾妻橋から下流は江戸期には大川と呼ばれたところ。少し下流に見えるのが大川で最初に架けられた両国橋で、当時、江戸城側の武蔵国、赤穂浪士の討ち入りがあった本所側の下総国の二つの国を結ぶ橋として両国橋と呼ばれました。

 東京都の水上バスの乗り場・両国リバーセンターからは浅草やお台場、葛西臨海公園など、川風、海風に吹かれながらクルージングを楽しむことができます。

末延渥史

〈2021年9月5日号より〉



 

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