核兵器禁止 被爆3世として伝えたい ウィーンでの体験語る〈2022年8月7日・14日合併号〉
- 2022/8/9
- 平和
第1回締約国会議前日 非人道性会議でスピーチ
KNOW NUKES TOKYO 中村涼香(すずか)さん

核兵器を国際法として全面的に禁じた史上初となる「核兵器禁止条約」の第1回締約国会議が6月21~23日、オーストリアの首都ウィーンで開かれました。日本からも被爆者やNGOなど、多くの市民が参加しましたが、唯一の戦争被爆国として核兵器保有国と非保有国の「橋渡し役」を自負する日本政府の姿は、そこにありませんでした。核兵器の廃絶を軸に、ジェンダーや気候危機など、さまざまな社会問題の解決に向けて活動する若者グループ「KNOW NUKES TOKYO(KNT)」のメンバーも、外務省「ユース非核特使」の委嘱を受けて渡航。締約国会議の前日に開催されたオーストリア政府主催の「核兵器の人道的影響に関する国際会議(非人道性会議)」で、着物をまとってステージに立ち、英語でスピーチしたKNT共同代表の中村涼香さん(22)に、現地で感じたことなどを聞きました。
「核兵器の被害が被爆2世や3世にどのような影響をもたらすか明らかになっていません。何も分からないのです。何も分からないから怖いのです。…これからの将来、被爆の恐ろしさを記憶し、同じ過ちを繰り返さないかどうかは私たちにかかっているのです(日本語訳)」―各国の政府代表団など、多くの参加者が集まる非人道性会議のオープニングセッションで、長崎出身・被爆3世の中村さんは、日本原水爆被害者団体協議会の事務局長を務める木戸季市さん(82)の次にスピーチしました。
託された平和の帯を締め

スピーチを頼まれたのは、ウィーンに出国する6月16日の早朝。「被爆3世としてのパーソナルな経験と核兵器廃絶への思い」を、6分間で語ってほしいというオーストリア政府からの依頼に、中村さんは「やるしかない」と覚悟を決めたといいます。
被爆3世のスピーチを望んだのは、非人道性会議のホストで締約国会議の議長でもあるオーストラリア大使のアレクサンダー・クメント氏。「締約国会議中、若い世代の人たちやNGOの声を積極的に取り上げようと調整したのがクメントさん。若者が政治の意思決定の場に参加することを重視していることが、会議のコーディネートから感じられました」と、中村さんは振り返ります。
着用した着物は、長崎で生後7カ月のときに被爆し、国内外で核廃絶を訴える福島富子さんから託されたもの。帯には「和」と「Peace」の文字が大きくしゅうされています。「会場で着物はとても目立ち、たくさんの方に声をかけていただいた。一緒に写真を撮ろうと気軽に話しかけてくれた人が、実はカザフスタンやチリの大使だったなんてこともありました。福島さんの着物が、コミュニケーションやネットワークを広げてくれたのです」
スピーチの最後には「唯一の戦争被爆国である日本政府が核兵器禁止条約の締約国会議に参加しないことを残念に思います」と、日本政府へのメッセージも吐露。会場は大きな拍手に包まれました。「国際社会を前にして、いまだ核兵器禁止条約に後ろ向きの自国政府に対話を求めなければいけないのは複雑な気持ちでした。でも、日本の市民が核兵器廃絶を強く願っていることは、世界に示すことができたのではないでしょうか」
対話を放棄した日本政府

締約国会議に参加したKNTのメンバーは、中村さんを含めて5人。そのうち4人は外務省からユース非核特使の委嘱を受けて参加しましたが、日本政府からの支援は一切ありません。アルバイトやクラウドファンディングなどで、渡航費用を工面。中村さんはオーストリア政府の支援で現地に渡りました。
KNTが締約国会議に参加した理由は、「外交には様々なチャンネルがあるという考えのもと、現地に日本のメッセージを届け、その存在感を示しつつ、のちに日本が条約に参加する時の環境や土台作りに貢献したい」という強い思いからです。①ウィーンから最新情報を発信②被爆国日本のメッセージを届ける③国際的な核軍縮の議論を学び、共有する④国際的なネットワークの構築―を目的に掲げ、ウィーン滞在中の6月18~23日まで、メンバーは目まぐるしいスケジュールをこなしました。
18、19日にはICAN(核兵器廃絶国際キャンペーン)が「市民フォーラム」を開催。その中でKNTとICRC(赤十字国際委員会)の共催で「被爆者2世3世の記憶の継承」を議論する企画や、被爆者とカフェで会話するように膝が触れ合う距離で多彩な国の人々が交流するKNT主催の「Meet the HIBAKUSHA」などを実施しました。

20日の非人道性会議では、KNTと「カクワカ広島」の高橋悠太共同代表が、日本政府の代表団として出席していた外務省の石井良実軍備管理軍縮課長に、直前まで集めた締約国会議のオブザーバー参加を日本政府に求めるインターネット署名2万1065人分(最終数はわずか4日間で2万3237人)を示し、「この数をどう捉えるか」と詰め寄る場面もありました。「残念ながら、核保有国が不参加なので、現時点で日本も出席することはできないという、いつもの回答しかなかった」と、中村さんは落胆しました。
21日から始まった第1回締約国会議には、日本と同じく米国の「核の傘」に頼るNATO(北大西洋条約機構)加盟国のドイツやノルウェー、オランダ、ベルギー、オーストラリアがオブザーバー参加。中村さんは「これらの国々は会議の中で、核兵器禁止条約に批准しないと明言しつつも、自分たちができること、今抱えている課題を提示しました。なおかつ、会議に顔を出し、対話をする姿勢を見せている。外交はさまざまなところから影響します。日本政府は会議に参加せず、あらゆるチャンスを自ら放棄したという点において、非常に残念に思う」と心境をのべました。
中村さんが現地で特に印象的だったと言うのは、期間中に開催されたイベントがカジュアルだったこと。「ICANのオリジナルビールやワインが出され、立食パーティーのような親しみやすい雰囲気の中で、いろんな人とフラットに交流しながら、核兵器について重要なことはしっかりと議論する。会話を通じてネットワークがどんどん広がっていく。これは賢い外交。日本に持ち込みたいと思いました」
渡航の前日、6月15日は中村さんの22歳の誕生日。ウィーンに行ったことで海外のアクティビストや重要なポストの人たちと結びつき、アクションの幅も広がり、活動を継続する自信にもつながったと振り返ります。
「昨年5月にKNTを立ち上げた当時から、この活動を仕事にしたかった。実現できる仕組みを社会につくりたい」と中村さん。「丁寧な姿勢で互いに耳を傾けて対話を重ねることは、核兵器廃絶の思いを世界と共有する上で最も基本的なこと。根気強く続けていきたい」―被爆3世として自身が考える今後の役割にも思いを馳せました。
〈東京民報2022年8月7日・14日合併号より〉