人物でみる鉄道黎明期 高輪築堤の価値にふれる 港区 郷土歴史館で特別展
- 2022/10/18
- 文化・芸術・暮らし
今から150年前の1872(明治5)年に、日本の近代化を象徴するわが国初の鉄道が開通しました。新橋~横浜間約29㌔を走る鉄道が正式開業した10月14日(旧暦9月12日)から、港区立郷土歴史館では鉄道開業150周年を記念する特別展「人物でみる日本の鉄道開業」(10月14日~12月18日)を開催。文献や写真といった歴史資料、出土遺物、浮世絵などと共に、創業に尽力した多くの人物を通し、日本の画期をなした鉄道開業を紹介しています。
本展は約140点の原資料を公開し、4つのテーマで展開。「1.日本人と鉄道との邂逅(かいこう)」のコーナーでは、「黒船来航と蒸気機関車模型」「日本人の鉄道利用と鉄道知識の広がり」について解説。1854(嘉永7)年にアメリカのペリーが再来航した際、蒸気機関車模型を幕府に献上しました。同時期に、ロシアのプチャーチンも蒸気機関車模型を持って長崎に来航。その模型を目にした佐賀藩の田中久重が、日本初の蒸気機関車模型を完成させました。
長崎では1865(慶応元)年に、本物の英国製蒸気機関車が約1カ月間にわたり試走。人々は驚きの歓声をあげて見物したと記されています。
中津藩士で海外を3度体験した福澤諭吉は、著書「西洋事情 初編巻之一」(1866年)で鉄道の原理や構造などを詳細に描写。社会に大きな影響を与えました。
日本で初めて鉄道を利用したのは、漁に出て遭難し、アメリカの捕鯨船に助けられた土佐の漁師・中浜万次郎といわれています。作家の井伏鱒二が「ジョン万次郎漂流記 風来漂民奇譚」で書いたその人です。
「2.鉄道建設と高輪築堤」は、1869(明治2)年の廟議(びょうぎ=朝廷の評議)で、新橋~横浜間に鉄道敷設が正式決定された説明から始まります。
国富増進を目的に鉄道建設を主導した政府内開明派の大隈重信や伊藤博文のほか、建設にたずさわり活躍した、近代日本経済の父といわれる渋沢栄一、日本の鉄道の父と呼ばれる井上勝、工事を指導したイギリスの鉄道技術者エドモンド・モレルらの写真が並びます。
西郷隆盛や当時の兵部省など、政府内には軍事拡充を優先したい鉄道反対論者も存在。兵部省が高輪周辺の土地の測量を拒み、薩摩藩邸(現在の田町駅付近)もあったことから、本芝から高輪海岸を経て品川停車場に至るまでの約2・7㌔は、東京湾上に築堤を敷設。その後、大正時代の埋め立てにより築堤は土中に潜みましたが、JR東日本による2019年の品川駅改良工事、および翌年のJR高輪ゲートウェイ駅新設を伴う大規模開発の中で、奇跡的に当時の姿を現しました。
ジオラマで築堤再現
本展のメーンともいえるのが、この「高輪築堤」に関する展示品です。担当学芸員は、高輪築堤の発掘現場で出土した双頭レールと、チェアー付き枕木の貴重性を解説。「どちらも鉄道開業後、使用期間は10年程度。開業当初の遺物と間違いなく言えるでしょう。しかも、枕木にチェアーが付いた状態のものは、国内で唯一これだけです」