非日常生む賑やかしの文化 江戸と東京のまつりの歴史 立教大 滝口正哉氏とひもとく

 江戸三大祭りといえば神田祭(5月、神田神社)、山王祭(6月、日枝神社)、深川祭(8月、富岡八幡宮)ですが、多摩地域などでは地域で執り行われる秋の祭りもにぎやかです。「神輿(みこし)」や祭囃子(まつりばやし)、露店が楽しみという人も多いでしょう。立教大学の滝口正哉特任准教授に江戸東京の祭りの成り立ちと移り変わりを聞きました。

 ―祭りといえば神輿や山車(だし)が浮かびます。

 滝口:お神輿というのも2つの種類があります。神社と氏子にはテリトリーがあり、氏子域の人たちが祭りに参加して何らかのことをします。一番よくあるのが、神様を神輿に乗せて町内や村を巡行するもので、その時に出される神輿は神社の神輿です。基本的には祭神の数だけ乗り物が出されます。

赤坂氷川神社内にて常設展示されている山車の一部

 本来の神輿に加えて賑(にぎ)やかしで氏子らが自主的に何か出し物を出したのが山車です。出し物ゆえに山車なのです。色々な地域の特色があり江戸だったら山車と言いますが、地域によっては鉾(ほこ)や傘など別な言い方もします。

 この類いのものは江戸時代にはすごく多かったのですが、日本橋小舟町の天神祭のように神社の神輿だけで盛り上がるというパターンもありました。

 それが、明治以降に交通事情が変わるんですね。江戸時代までと違い自由に氏子域の中をぐるぐる巡行できなくなります。電線が張り巡らされて、だんだんと高さのある山車はお祭りの時に出せなくなってくる。東京都心部の祭りは山車を出すパターンが多かったのですが明治以降、すたれてしまうのです。

山車の再現も

 ―山車はどうなるのでしょう。

 滝口:巡行はやらないで、例えば「日露戦争祝勝」や「大正天皇即位」など、祝い事の時だけ町内に飾るだけで引き回さないでいました。そこで氏子も山車に変わるものをやりたいという声が大正時代から戦前ぐらいにかけて徐々に出てきて町神輿が生まれました。

 神社のものほど大きくない比較的小型の神輿を出すようになったのです。大体、戦前ぐらいまでに都内ではパターンが出来上がり戦後もずっとやるようになって、賑やかに発展していくという感じです。基本的に山車の祭りから、今の祭りに変化をしました。

千社札、富くじなど江戸文化全般に渡る研究者の滝口氏

 戦後も細々と山車が出ましたが、デコレーションが豪華な物は姿を消し小型なものぐらいしかなく、町神輿を担ぐのがメーンとなる一方で、使わなくなった山車は地方に売却され地方で使われていきました。関東近郊が多く、例えば栃木県の栃木市や埼玉県の加須市などですね。あるいはこれをお手本にして関東の地方都市で行うようになります。埼玉県のところざわまつり(埼玉県所沢市)や川越まつり(埼玉県川越市)がそうです。江戸時代の祭礼様式が残っているのはむしろ関東近郊かもしれません。

 その中で最近、赤坂氷川神社では残っている9台の山車を出す山車祭りを再現しながら開催していて、山車の常時展示も行っています。

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