貴重な証言、広く伝えて 東京空襲 30年経て都が映像初公開〈2024年3月10日・17日合併号〉
- 2024/3/12
- 平和

東京都が1990年に3月10日を「東京都平和の日」と定めてから毎年実施する関連行事のひとつ「東京空襲資料展」が、2月28日から都内3カ所で順次開かれ、30年近く非公開となっていた東京大空襲の被害者による証言映像の一部、122人分の公開が始まりました。同時に、デジタル化した紙資料もわずかではありますが、初めて展示されています。
同資料展は、2月28日~3月13日に「東京芸術劇場」(豊島区)、3月3~12日に「三鷹市公会堂さんさん館」、3月7~14日に「調布市文化会館たづくり」で開催。公開された映像は、都が昨年6月までに本人や遺族から同意が得られたもの。1人あたり10分ほどに編集し、それぞれに字幕を付けました。各会場で34人ずつ、10日に都庁で行われる「第34回東京都平和の日記念式典」で20人分の映像が流されます。
都は90年代に「東京都平和祈念館(仮称)」の建設に向け、東京大空襲の戦争体験者330人の証言映像などを、約1億円の公費を投じて収録。戦争の惨禍を後世に伝えてほしいと、多くの人々から約5000点もの遺品が寄せられました。
この計画に対し、展示内容などをめぐって都議会が紛糾。98、99年に都議会で建設予算案は可決されましたが、「都議会の合意を得た上で実施する」との付帯決議により、計画は事実上凍結。9人の証言映像のみを公開し、多くの映像と資料は都立庭園美術館(港区)の倉庫に封印されたまま長い年月が過ぎました。
戦争を身近に実感
東京芸術劇場では、「深川にある明治小学校の講堂に逃げ込み、鉄の扉が閉められた。朝になり扉を開くと遺体が積み上がっていた」「川には水が見えないほど人間が浮いていた」「死体の処理がとにかくつらかった」など、大きな画面を通して悲惨な状況を語る被害者の証言を、来場者は食い入るように見つめていました。
東京大空襲により祖母が命を落とした練馬区在住の女性(74歳)は、「東京空襲犠牲者名簿に祖母の名前はあるが、遺体がない。映像を見ると、戦争が身に迫るように感じた。焼夷弾の中を逃げまどった体験を聞いて、祖母もそのような最期を遂げたのだろうかと想像して胸が詰まる」と、涙をこらえて話しました。
埼玉県新座市から来場した男性(83歳)は、「4、5歳で空襲を経験した。3月10日以前に目黒区から埼玉県川越市に疎開したが、夜鳴り響く空襲警報、世田谷のまちが真っ赤に燃えている光景を覚えている。映像は訴える力が強い。広く公開する機会を大事にしてほしい」と過去を振り返りつつ語りました。
母親と訪れた板橋区の女性(22歳)は、「その当時に生きていた人々の生活の様子が伝わってくる。学校の教科書で学ぶより身近に感じ、戦争の怖さを実感することができた」と話しました。
都の担当者は、「例年に比べて来場者が多い。平和を考える機会のひとつとして、映像を見てほしい」と述べました。
「東京都平和祈念館(仮称)建設をすすめる会」世話人の柴田桂馬氏(93)は、「都に対し、我々は繰り返し330人の貴重な証言映像の公開、活用を求めてきた。122人の映像を公開したことは第一歩前進」と評価しつつも、「1人10分程度の編集、わずかな日数での公開では不十分。これで終わらず被害者や犠牲者に、心のこもった対応をお願いしたい」と訴えました。

東京民報2024年3月10日・17日合併号より