広島と長崎に原子爆弾が投下され、まもなく79年を迎える21日、2024年度東京都原爆犠牲者追悼のつどいが葛飾区内で開かれました。東京都が主催し、東京の被爆者団体「一般社団法人東友会」が都からの委託を受けて実施。被爆者や遺族をはじめ、小池百合子知事、東京選出の国会議員、都議会各会派の代表、葛飾区議など、157人が参列しました。
小池知事は、「原爆の記憶を人類共通の記憶として、次世代に語り継いでいくことは、今を生きる私たちの重要な使命」と式辞。東友会の家島昌志代表理事は、被爆者の悲願であった核禁止条約が21年1月に発効されたものの、「唯一の戦争被爆国である日本政府が、この条約に背を向けていることに納得できない。認識を改めてほしい」と訴え。「高齢化した被爆者には残された時間がない。核兵器廃絶はもとより、亡くなった原爆犠牲者に国の償いをさせる運動が結実しなければ、私たちは死んでも死にきれない」と、国の態度を厳しく問う追悼の言葉を述べました。
都民と参列者を代表して、公益財団法人第五福竜丸平和協会の市田真理事務局長が追悼。アメリカがビキニ環礁で行った水爆実験により、第五福竜丸の乗組員などが被爆した事件から、今年で70年になります。市田氏は「第五福竜丸が再び海を走ることはない。しかし、核兵器のない未来に向かって今も航海中」だと、原爆死没者に語りかけました。
惨状を体が記憶
東友会が品川区の東海寺境内に「原爆犠牲者慰霊碑」を建立した1967年から(2012年に現在の葛飾区青戸平和公園に移転)記録を続ける原爆死没者名簿には、昨年のつどい以降、354人の名前が加えられました。現時点で、9179人が記載されています。東友会の的早克真氏が、新たに亡くなった原爆犠牲者の名前を一人一人読み上げる中、遺族らは真っ白なカーネーションを献花台に捧げました。
死没者名簿に記された故人に宛て、東友会の濱住二郎業務執行理事が言葉を献呈。ウクライナやパレスチナ・ガザ地区の戦禍を伝え、「世界は新たな核戦争の危機を迎えようとしている」が、「命のある限り、戦争、核兵器のない世界に向けて歩みを続ける」と誓いました。
来月8月6日に広島市が主催する平和記念式典に、都の遺族を代表して参列する木村かずしげ氏が被爆証言。被爆者が原爆投下直後の様子を描いた絵や、木村氏の家族写真などをスクリーンに映しながら、広島の爆心地から2.5キロ離れた場所で1歳9カ月の時に被爆し、弟が原爆症により、生後わずか10カ月で命を落としたことなど、家族から伝え聞いた惨状を語り、参列者は熱心に耳を傾けました。
閉会後、大田区から参列した女性は、「長崎で5歳の時に被爆した。当時の記憶はなかったが、95年に起きた阪神・淡路大震災の映像をテレビで見て、人が焦げたにおいや炎に包まれた光景がよみがえってきた。体が憶えていた。妹は今でも頭の中に破片がたくさん入ったまま。つどいに参列できる人はずいぶん減った」と、切々と語ってくれました。
東京民報2024年7月28日号より