受賞を運動の継承の力に ノーベル平和賞 授賞式に出席 東友会代表理事・家島昌志さん〈2024年12月29日・2025年1月5日合併号〉
- 2025/1/6
- 平和・人権
核兵器の廃絶を長年、訴えてきた日本原水爆被害者団体協議会(日本被団協)が2024年のノーベル平和賞を受賞し、12月10日にノルウェーの首都オスロで授賞式が開かれました。授賞式に被団協代表団の一人として出席した、東京の被爆者団体「東友会」の代表理事、家島昌志さんに聞きました。

東友会代表理事 家島昌志さん
ーオスロはどんな印象でしたか。
町中がクリスマスムードで、ノーベル平和賞の歓迎の旗や、被団協のシンボルである折り鶴のマークがあちこちに飾られていて、ノーベル平和賞のお祝い一色でした。
日本でも多くの方に見ていただいたように、授賞式では被団協の田中熙巳(てるみ)代表委員が力強くスピーチし、大きな感動を呼びました。また、ノルウェー・ノーベル委員会の委員長のスピーチも、被団協の活動が核兵器をタブーとするうえで、大きな功績を果たしたと評価するもので、感動を持って聞きました。
代表委員3人は、世界各国メディアのインタビューや国王夫妻への謁見、歓迎パーティーなどに飛び回りました。私たち代表団も、次々と行事や日程があり、平和を願ってオスロで開かれた「たいまつパレード」も見る時間がなくて、食事もほとんどコンビニや屋台で買って済ませたほどです。ペットボトルの水一本が600円もして、物価の高さには驚かされました。
ーノーベル平和センターは、オスロで1年間、被団協をテーマにした展示会を開くそうですね。
フランスの写真家の方が、港区の芝大門に来て、私たち被爆者の写真を撮ってくれました。それがパネルになっていて、展示されていました。怒りの表情と立像で、オープンの式典に招かれて、みんなで「どの人の顔が一番、怒っているかな」などと語り合いました。
被爆者が亡くなった場所などを書いた木の板を墓標に見立てて並べた展示や、広島や長崎の若者たちの写真もあり、過去、現在、未来をテーマにした展示だそうです。1年間、世界中の多くの人にみてほしいと思います。

国は犠牲を補償せず
ー受賞を振り返って感じることは。
核兵器廃絶関連の受賞は、2017年のICAN(核兵器廃絶国際キャンペーン)で最後だと思っていたので、今年のノーベル平和賞が与えられるとはまったく予想していませんでした。受賞が決まった日も、ある会合に出ていたら、友人から「ニュースを見ていないのか」と電話が来て、驚いたくらいです。
受賞は、故人も含めた多くの先人が、差別的な世間の目にも耐えながら、核兵器の非人道性を訴えてきたことが評価されたものです。受賞の喜び以上に、これを力にどう運動を広げるか、覚悟を持たなくてはと感じます。
被団協の活動は、被爆者への国家補償と、核兵器廃絶が二つの大きな柱です。
日本の戦後補償は、軍人軍属が対象で、被爆者や空襲犠牲者など一般市民は除外されてきました。現在の支援も、放射線被害に対する社会保障でしかありません。田中代表委員が、授賞式で二度にわたって繰り返したように、日本政府は原爆の犠牲者に国家補償をしていないのです。
核兵器廃絶をめぐっても、日本政府は、アメリカの核の傘に依存し、核兵器禁止条約に背を向け続けています。戦争被爆国として、積極的に条約に参加して、他国を説得すべきです。
ー2025年は、戦後80年、被爆80年です。
私たちも、他団体と連携した広島、長崎への旅や、原爆展など80年事業に取り組みたいと準備を進めています。
私たち被爆者はいずれ、いなくなります。被爆二世や、若い人たちにどう核兵器廃絶の運動を継承していくか、この受賞を、草の根の運動を広げる機会にしたいと決意しています。
東京民報2024年12月29日・2025年1月5日合併号より











