平和と自由、豊かなくらしを目指す「墨田革新懇」は2月22日、2024年にノーベル平和賞を受賞した「日本原水爆被害者団体協議会(日本被団協)」の代表理事を務める家島昌志氏(「東友会」代表理事)を招き、被爆の実相やノーベル平和賞受賞の意義などについて考える報告・講演会を、すみだ共生社会推進センター(墨田区)で開きました。
同革新懇代表世話人の加藤芳文弁護士があいさつを兼ね、郷里の茨城県水戸市が標的地とされた1945年8月2日の水戸空襲について説明。当時、妊娠5カ月の胎児だった加藤弁護士と両親はかろうじて生き延びましたが、家は全焼。戦後に船材を使って建てたバラック小屋で18年間、家族とともに過ごした日々を振り返りました。
差別恐れず訴え
演台に立った家島氏は、広島市牛田町で3歳になったばかりの頃に被爆。己斐方面の山が真っ赤に燃えている光景を、眺めた記憶があると言います。

ノーベル平和賞の受賞について、「被爆者が差別を恐れずに身をさらし、切々と原爆の悲惨さと平和を訴え続け、今日まで80年間、核兵器が使われることはなかった。その大きな貢献を知らない我々が受賞するのは、大変おもはゆい」と恐縮。
授賞式で演説を行った被団協代表委員の田中熙巳氏が1カ月かけて書いたスピーチ原稿は、当初1時間と長く、20分間に短縮したとして、「すべての思いは込められていないかもしれないが、肺がんに侵されながらも演説に臨むことができたのは、非常に幸運だった」と喜びました。











