東京大空襲(1945年3月10日)から80年を迎えたなか、体験を聞き平和を考えようというつどいが、都議会で3月27日に開かれました。日本共産党、立憲民主党、生活者ネット、グリーンな東京の4会派、6人の都議が呼びかけ、都議や市民が参加しました。

西沢圭太都議(立憲民主党)が主催者あいさつで、「戦後80年が経ち、戦争体験を聞ける機会は少なくなっている。私の祖父も、陸軍将校だったが、軍歴を調べると、本人の話と違いがあった。何があったのか、もう聞くことができないのが悔やまれる」と語りました。
6歳の誕生日の日に、旧深川区(現江東区)で東京大空襲を体験した西尾静子さんが証言しました。「避難していた防空壕を出ると、鉄筋コンクリートの建物以外は、すべてなくなっていて、地平線が見えた。防空壕のドアの前には、黒焦げになった死体が山積みになっていた」と回顧。八王子にいる祖母の家に避難しようと、東京駅まで歩いたものの「見た光景は、地獄だった。川をのぞくと、水面が見えないほど、人の死体があった。また、交番の建物の中は人でいっぱいで、その人たちが立ったまま焼け死んでいた。だんだんと心が壊れて何もしゃべらなくなっていった」と話しました。
別の防空壕に逃げた、19歳のいとこは、行方不明になり、今も遺体が見つかっていません。
東京大空襲・戦災資料センター(江東区)の運営に関わる西尾さんは、「民間の博物館で、資金面など厳しさがある。たくさんの貴重な資料を生かすため、国がつくらないなら、せめて都立の空襲に関する博物館をつくってほしい」と要望しました。
閉会あいさつした日本共産党の大山とも子都議は、「凍結されたままの東京都平和祈念館の建設に向け、みなさんと力を合わせたい。貴重な体験を語り継ぎ、東京から、戦争をさせない、平和をつくる取り組みを進めたい」と強調しました。
東京民報2025年4月6日号より











