水の安全に技術を尽くし 江戸から始まる水道のはなし 東京都水道歴史館〈2025年6月8日号〉

 蛇口をひねるとジャーっと、当たり前のように出てくる上水道。キッチンのみならず、お風呂やトイレなど家庭の複数の場所で安全な水が供給されていますが日々、意識して考えたことがあるでしょうか。実は水道水がそのまま飲用できるのは世界で11カ国しかありません。水道水が飲める国は厳しい水質管理と高度な浄水技術によって安全な水を供給しており、日本は貴重な国のひとつです。その中でも東京の水道の歴史は、江戸までさかのぼります。その歴史を「東京都水道歴史館」(文京区)の協力の元、探訪しました。

 時代劇では庶民が住む長家の井戸に女性が集い、洗濯をしながらおしゃべりに花を咲かせている場面を目にすることがあります。まさに井戸端会議の現場です。この井戸、地下水を汲み上げていると思っていた人もいるのではないでしょうか。

 しかし間違いです。実は水道の水が貯められた井戸なのです。そこで洗濯をし、炊事や飲用に使う水は汲んで自宅の水瓶に貯めていました。

 水道といっても今、私たちが日々使用している浄水されたものではなく、河川から引いてきた水で当時は「上水」と呼ばれていました。1590(天正18)年、徳川家康の江戸入府時に開設された上水が起源という伝承がありますが、実際にはもう少し後に始まったものと思われます。

 その後、玉川上水(1654年)、1696年にまで本所(亀有)上水、青山上水、三田上水、千川上水が整備されたといいます。1722年には神田上水と玉川上水以外は廃止され、江戸時代後期は神田、玉川両上水が先人の暮らしを支えていました。

太平洋戦争による中断を経て1957年に完成した小河内ダムと奥多摩湖

 江戸の水道の歴史を紐解くと、利根川や荒川などの氾濫を防ぐ河川改修などの事業も出てくるほど土木工事の技術は秀逸ですが、水道の技術にも目を見張るものがあります。当時は河川から上水路を経由し自然の地形の勾配を利用して、西から東へ上水は流れていたのです。水量により木(主に檜〈ひのき〉)や竹、石で作られた水道管を経て各井戸に水が引かれていました。木製の水道管は「木樋(もくひ)」と呼ばれています。

 こうした樋の繋ぎ目には水漏れ防止のために、現在でいうパッキンに木の皮が用いられるなど、造船の技術の応用も見られるとのことです。水道管の方向変換には枡が用いられ、上水が河川を跨ぐ立体交差には「懸樋(かけひ)」と呼ばれる水道橋が設置されていました。

整備は家光の頃に

 こうした江戸の水道の整備が終わったのは三代将軍徳川家光の頃だと説明してくれたのは、東京都水道歴史館の学芸員の金子智さんです。同館では東京の水道の歴史を貴重な資料を用いて説明しています。AR(拡張現実)を用いた長屋の暮らしの再現や、実物の木樋なども展示中です。

木樋を指差し説明する金子さん。当時は「きどい」、現在は「もくひ」という読み方に=文京区

 歴史館に隣接する文京区立本郷給水所公苑でも当時を偲ぶことができる石樋を見ることができるといいます。

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