【まちかどの小さな旅】漁民と運河とものづくりの記憶 佃島と路地裏と運河〈2025年11月2日号〉
- 2025/11/2
- 街角の小さな旅
超高層ビルの谷間にぽっかりと空いた、まるで映画のセットのような街…。でも確かな生活のかおりがただよう街…。そんな街が佃島です。
これは17年前に書いた東京民報連載「東京名所案内」の一文です。
今回、あらためて佃島(最寄駅地下鉄月島駅)を訪れましたが、変わらず都会の喧噪(けんそう)とは隔絶した居心地の良い空間がそこにありました。
佃島は16世紀末、徳川家康の江戸開府のおり、摂津国(現大阪府)の佃村から従ってきた漁民が、江戸湊の沖合いの干潟を埋め立てて百間(約180米)の小島を築造したのがはじまりです。

やがて佃の渡しが往来、佃島は住吉神社の参詣や潮干狩りなどで賑わう行楽地ともなりました。
また、佃の漁師は幕府から〝海川漁勝手たるべし〟という特権が与えられ、江戸周辺の海や川を漁場として日本橋の魚市場に卸すことで江戸の台所をまかないました。さらに江戸前の海の白魚は珍重され、江戸城献上の際は大名の駕籠(かご)が差し止められたといいます。
佃川をせき止めてつくられた船留まりに架かる朱塗りの佃小橋を渡った先は渡しの船着き場があったところで「佃渡船」の碑が立っています。

また、住吉神社は同じく摂津の国から分祀されたもので、3年に一度の例大祭では獅子頭の宮出しや千貫神輿と呼ばれる大神輿が繰り出し賑わいます。例大祭で立てられる大幡の柱と抱木は保存のため海水が入り込む運河の中に沈められています。もう一つの風物詩が念仏踊りと呼ばれる盆踊りで、「踊れ人々、供養のためじゃ」などと念仏の口説き節にあわせて、片方の足を引きずるようにして踊ります。
佃島と言えば佃煮。漁師たちが船で食べる保存食としてつくられたもので、その佃煮を今日に伝える老舗や八角箸で知られる漆器の店が下町の風情を残しています。佃まちかど展示館があります。

佃島の隣は池波正太郎の小説に登場する犯罪者を更生する人足寄せ場があった石川島です。











