- Home
- Top Stories, 平和・人権
- 模擬原爆の戦禍を後世に 戦後80年 西東京市が投下地に解説板 3人犠牲「軍の理屈で」〈2025年8月24日号〉
模擬原爆の戦禍を後世に 戦後80年 西東京市が投下地に解説板 3人犠牲「軍の理屈で」〈2025年8月24日号〉
- 2025/8/21
- Top Stories, 平和・人権
西東京市教育委員会は7月末、同市柳沢の「しじゅうから第二公園」に、第二次世界大戦末期に米軍が「模擬原子爆弾」をこの地に投下し、3人の市民が犠牲になったことを示す解説板を設置しました。長年、市民らでつくる団体が戦禍を伝えるパネルをつくるよう求めてきたのが実ったものです。
模擬原爆は、米軍が原爆投下に先立つ実戦訓練のために使用したもの。1945年7月から8月に、B29爆撃機が日本各地に49発を投下し、死者は400人以上、負傷者1200人以上にのぼるとされています。核物質ではなく通常の爆薬が詰められており、長崎に投下された原爆「ファットマン」とほぼ同型、同重量でした。全体が黄色に塗装されており、「パンプキン爆弾」とも呼ばれます。
西東京市には7月29日に投下され、着弾したジャガイモ畑で働いていた女性3人が死亡し、10数人が負傷。周辺の住宅にも、全焼・全壊を含む大きな被害を出しました。
この時、模擬原爆を投下したB29は「ボックスカー」と呼ばれ、その11日後、8月9日に長崎に原爆を落とした機体です。この日の訓練が、原爆投下直前の最終訓練でした。
節目の投下の日に
市民団体「西東京に落とされた模擬原爆の記録を残す会」は、多くの人に地域の戦禍を知ってもらおうと、パンフレット「じゃがいも畑へパンプキン―西東京市にも落とされた模擬原子爆弾」を2015年に発行するなどして活動。市に、投下地に隣接する「しじゅうから第二公園」に、模擬原爆を解説するパネルの設置を求めてきました。会の事務局長の西田昭司さんによると、「市と話し合い、パンフレットの売り上げや、市民からの募金で、パネルを作成して寄贈することも提案してきた」なかで、市教育委員会から6月ごろ「解説板を設置したい」と連絡を受けたといいます。

市は、地域の文化財の歴史を伝える解説板を、市民との協働でつくる事業の第一弾として、戦後80年目の投下日7月29日に合わせて設置。8月2日には模擬原爆に関する、市教育委員会主催の講演会と現地見学会も開かれました。












