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有料WEB紙面版 6月26日号
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【1面】
- 平和と暮らし 未来ひらこう 参院選スタート 7月10日投票
- 足立区「九条の碑」が完成 銀色の球体に平和の願い
- 新型コロナ感染 都内の状況
- コラム・一分
【2面】
- 福手都議「当事者の声歴史動かした」都議会が閉幕 パートナーシップ 11月創設へ
- 立川市議選 共産党5氏全員当選 野党第一党を維持
- 「最高裁は被害者に向き合え」原発訴訟 国の責任認めぬ判決
- 説明会開催求め請願採択 羽田ルートめぐり港区議会
- 目黒区 避難者に恒久的支援を 区と区議会に署名提出
- 【コラム 健康生活】回復12カ月後 約3分の1に罹患後症状
- フラッシュ@T
【3面】
- 杉並区長選 「住民が主役」のスタート 岸本氏当選 報告会に熱気
- 持ち金なく限界まで我慢も 民医連 手遅れ事例調査で会見
- 戦争ない世界つくる象徴 足立区 九条の碑が除幕
- 狛江市長選に周東氏「中央図書館は現在地で」
- 調布市議補選に藤田氏
- 【国会議員コラム】山添拓 「未来を拓く」いよいよ参院選!
- いま考える戦争と平和➄ 開発費用の肩代わり
- とうきょう人
- 街角情報
- まちがいさがしポカポ家族 とうきょうクロスワード 詰碁・詰将棋 問題と前回の解答
【4面】
- 近代酪農の歴史拓いた とうきょう牛乳のはなし
- アンネフランクを訪ねて⑧『アンネの日記』とイミンク書店
- フラヌ~ル遊歩者通信 その39 傘
- パシャ
- みんなの広場
- 漫画「ママはmin♡minギャルママ」(302)
◆テキスト版◆
以下に、各面のトップ記事などを一部、テキスト版で公開しています。
1面 平和と暮らし 未来ひらこう 参院選スタート 7月10日投票
平和と暮らしのかかる大激戦の参院選は、22日に公示(7月10日投票)を迎え、選挙戦がスタートします。日本共産党は、東京で比例100万票を実現し、比例代表での田村智子氏(活動地域=東京・南関東)ら5人の当選と、東京選挙区(定数6)での現職の山添拓氏の再選に全力をあげています。
山添氏「政治動かす議席再び」
「こんな人が国会にいないと。山添さんのいない国会なんて想像できない」―15日に開かれた山添氏の事務所開きのあいさつで、環境アクティビストのeriさんは、こう呼びかけました。
eriさんは、「偶然、国会質問の動画で山添さんとタムトモ(田村智子)さんを見て、『国会議員で私たちの声を届けてくれる人が、本当にいたんだ』と思った」として、「私も精いっぱい応援します」と続けました。
事務所開きでは、市民などさまざまな立場から、山添氏への期待の言葉が続きました。
過労死遺族として裁判をたたかった小林明美さんは、「相手の会社が過労自殺した夫について『家族に分からないことを会社がわかるわけがない』と言ってきたとき、『やっぱり私が悪いんだ』と動揺した。(弁護団にいた)山添さんにそのことをメールしたら、すぐに電話がきて、『家族が悪いことはない。会社にいる時間の方が長いんだから、会社に責任がある』と言ってくれて、本当に心が救われた」と紹介。「いつも弱い立場に立って考えてくれる人。これからも応援しています」と語りました。
先輩の弁護士の加藤健次さんは「山添さんの国会質問は、私たち弁護士から見ても、すごい。それは、いろいろな分野から悩みや相談を聞き取り、どうやったら政治を変える方向に持っていけるか問いかけて質問するからだ」と述べました。
日本共産党書記局長の小池晃さんは、「説得力ある国会質問を、あらゆる分野で連日のようにしている。二刀流、三刀流、四刀流で、鋭く相手の急所をつく。あらゆる意味で絶対に国会に必要な、日本の宝の議席」と強調しました。
僅差の当落線魅力を広げて
東京選挙区は有力候補だけで10人が並ぶ、大激戦の様相です(表)。有力候補はすべて、30歳代から50歳代で、現役世代、無党派層の票の激しい奪い合いとなっています。
昨年の衆院選での東京での比例票は、日本共産党は、自民、立憲民主、維新、公明に次ぐ5位。さらに、自民党、立憲民主党は共産党の2~3倍の得票を集めており、山添氏は当落線上です。
事務所開きで日本共産党都委員会の田辺良彦都委員長は、「当落線上の大接戦にもかかわらず、『山添さんは大丈夫だから、当落線上の候補に』という情報も流されている。6年前の選挙でも、同じようなことが起き、東京の比例代表で日本共産党に投票していただいたなかの4人に1人が、選挙区では山添拓と書かなかった」と指摘。「僅差で競り合っており、絶対に同じことを繰り返すわけにはいかない。比例代表での政党間の力関係を変え、東京で比例100万票を実現し、山添氏の魅力を広げに広げていく」と決意を語りました。
国会が閉会した15日には、千代田区の有楽町駅前で5人の比例予定候補と、山添氏が勢ぞろいして、緊急街頭演説を開催しました。
山添氏は「政治も社会も、ひとりでに変わるわけではない。一歩を踏み出す一人一人の勇気と行動があって、初めて前に動く。その世論と、論戦を結んで政治を動かす仕事を、どうか引き続き担わせてください」と訴え。
田村氏は、「戦争のニュースがあふれ、『軍拡は当たり前』という空気に不安の声が寄せられます。私たち日本共産党は、みなさんの背中を押し、寄り添い、ともに声をあげ続けます。みなさん、声をあげましょう」と呼びかけました。
各党が必死の候補押し上げ
東京選挙区は、有力候補がひしめき、公示前から各党が本番並みの選挙戦を繰り広げてきました。
自民党の生稲氏は、精力的に各地を回り、地元の衆院議員や都議らと街頭宣伝。「安倍首相のもとで、働き方改革実現会議の委員を務めた」など、安倍晋三元首相とのつながりをアピールしています。同党の朝日氏は、16日に23区、17日に三多摩の決起集会を開催。23区の集会は千人規模の人を集め、菅義偉元首相も応援に立ちました。
公明党の竹谷氏は「ツギコメ」(次の時代をつくる公明党)という、若者向けの政策プロジェクトのリーダーとして、痴漢対策や奨学金など、若者、無党派層向けの政策をアピールしています。
維新の会は、毎週のように吉村洋文大阪府知事が上京して首都圏で街頭宣伝。比例や選挙区の候補とそろい踏みの宣伝で、東京での足場を広げようと必死です
都民ファーストの会の荒木氏は18日、連携する国民民主党の玉木雄一郎代表、小池百合子都知事、労働組合の芳野友子連合会長とそろって街頭演説。小池知事は7日の都議会代表質問でも、第一党の自民党への知事の答弁時間約15分、共産党への答弁約8分に対して、荒木氏への知事答弁に40分超を費やす「厚遇ぶり」で、自身の元秘書である荒木氏を国政に押し上げようと必死です。
2面 福手都議「当事者の声歴史動かした」
都議会が閉幕 パートナーシップ 11月創設へ
都議会第2回定例会は15日、性的マイノリティーのカップルを公的に認める「パートナーシップ宣誓制度」を創設する人権尊重条例改正案と、議員提出の手話言語条例案、学校給食への支援を国に求める意見書の2議案を全会一致で可決し、閉会しました。ロシアのウクライナ侵略による物価高騰などの影響を受ける都民や企業への支援策などを盛り込んだ4283億円の一般会計補正予算案も、賛成多数で可決しました。
宮外苑の歴史的景観と環境の保全を求める陳情、都立・公社病院の7月独立行政法人化の中止を求める請願は、自民党、都民ファーストの会、公明党などが不採択にしました。日本共産党などは採択を求めました。
本会議討論で日本共産党の福手ゆう子都議は、パートナーシップ制度について、「当事者が声を上げ続けたことが歴史を動かした。誰もが自分らしく生きられる東京に前進する上で大切」と強調。日本共産党都議団は「祝福される制度にしようと取り組んできた」とし、オンラインに限られる手続きを窓口併用にするよう要望。「当事者の声をくみ上げ、より良い制度に改善を」と呼びかけました。同制度は11月1日から導入され、10月11日から申請を受け付けます。
また福手都議は、手話言語条例についても「当事者が粘り強く求めてきたことが実を結んだ。全会派が参加し共通認識を広げ条例案を作ったことは画期的」と評価し、都に施策の具体化を求めました。
福手都議は物価高騰対策を盛り込んだ都の補正予算案について、「暮らしと営業支援も、コロナ対策もさらなる充実が必要だ」と強調。全小中学校の給食費への支援、国民健康保険料(税)の都としての負担軽減策、公衆浴場への支援など、具体的に提案しました。
福手都議は、都立・公社病院の独法化中止を求める署名は延べ40万人を超え、「都民や職員の理解と納得は得られていない」と指摘。7月の独法化は中止し、都が責任を持ち都立・公社病院を強化するよう迫りました。
3面 杉並区長選 「住民が主役」のスタート
岸本氏当選 報告会に熱気
杉並区長選(19日投票)が20日開票され、無所属新人の公共政策研究者で「住民思いの杉並区長をつくる会」の岸本さとこ氏(47)=立民、共産、れいわ、社民、生活者ネット、緑の党、新社会党推薦=が、7万6743票(得票率44.41%)を獲得し、4選を目指した無所属現職の田中良氏(61)=自民、公明推薦=ら2人を破り、初当選しました。参院選(22日公示、7月10日投票)を目前に、「市民と野党の共闘」の力を示した杉並区長選の勝利は、一首長選にとどまらない意義があります。
岸本氏は田中区政が進める街壊しの大型道路の建設計画の見直しとともに、児童館や高齢者施設の廃止計画に対し「区民の公共財として守り発展させたい」として、見直しを訴え、共感と支持を広げました。一方、現職の田中氏は新型コロナ感染拡大による緊急事態宣言下の昨年7月、公費を使って群馬県のゴルフ場に出張していた問題が、区民の大きな批判を招いていました。
岸本氏は東京23区では、新宿区の中山弘子元区長、足立区の近藤弥生区長(4期目)に次ぐ3人目の女性区長となります。
◇
「私たちお母さんが主役になれる街づくりのために、私も頑張ります」。岸本候補の当選を決めた20日夕、「住民思いの杉並区長をつくる会」がJR阿佐ヶ谷駅前で開いた報告会には大勢の人が駆けつけ、新区長とともに新しい街づくりへの思いを熱く語る姿がありました。
初めて政治に関わったという人もマイクを手にし、「応援した人の当選で泣いたのも、選挙で心が躍ったのも初めてです」と声を弾ませました。
区民の発言を受けて岸本氏は「貧困はもう日常です。区民の命と生活を守ることは党派の違いを超えた共通の目標、そのためにお金(税金)を使いたい」と力説。家賃補助や学校給食の無償化、再開発道路の見直し、防災対策、情報公開の推進など、「安心して住める杉並区」に向けた政策実現への意欲を表明しました。
その上で、「みんなに広くお金が回る地域経済にしたい。女性が安心して無理なく働ける社会にしたい。難しい課題へのチャレンジです。一緒にやっていきましょう」と力強く呼びかけ、参加者から共感の大きな拍手と声援が響きました。
◇
▽開票結果
当 岸本 さとこ 47 無新 76743
田中 良 61 無現 76556
田中裕太郎 46 無新 19487
投票率37.52%(前回32.02%)
杉並区議補選 増田氏が肉薄
区長選と同時に行われた区議補選(改選数1)で、日本共産党の増田さちえ候補は2位だったものの、2万5181票(得票率14.87%)を獲得し、当選した自民党候補2万6879票(同15.88%)に肉薄しました。
4面 近代酪農の歴史拓いた とうきょう牛乳のはなし
6月は「牛乳月間」で、さらに6月1日は牛乳に対する関心を高め、酪農・乳業の仕事を多くの人に知ってもらう目的で〝牛乳の日〟と定められています。一般社団法人Jミルク主催のイベントの他、農林水産省もロックバンドの打首獄門同好会とコラボレーションでミュージックビデオを作成するなど様々な取り組みをすすめています。酪農といえば「北海道」を思い浮かべる人も多いでしょうが、近代酪農発祥の地は東京です。高層ビル群の狭間に残る東京の酪農の歴史を探訪します。
国会近くに発祥の地も
江戸幕府が滅び、文明開化の波が押し寄せるようになると食生活の変化も起こりました。また、日本に居留する外国人も増え、牛乳・乳製品の需要が高まったといわれます。外国人から政府高官などに広がった需要への対応ためと、諸大名の江戸屋敷廃止で廃墟となった跡が払い下げられたことで、職を失った武士階級に酪農が広がったといわれています。「ボーイズ・ビー・アンビシャス」の言葉で知られるウィリアム・クラークが札幌農学校(現・北海道大学)に赴任したのが1879年(明治12年)ですから、それより前の話です。
日本最初の近代牧場の発祥の地は、高層ビルに見下ろされるような都心。国会議員会館の間から急坂である山王坂を下った、都立日比谷高校と道を挟んだ日枝神社駐車場付近の看板に記されています。当時は保存・輸送技術も未発達の時代であったために、都心に牧場と西洋式搾乳所が設けられていました。
都心には当時の酪農の盛んさがわかる場所が多くあります。飯田橋駅(千代田区)近くの目白通り沿いから、東京農業大学発祥の地を眺め坂を登ると北辰社牧場跡地の指標も建てられています。
広尾(渋谷区)の七星舎ビルにある看板にはかつては牧場であり、1985年まで牛乳販売店であった記録が残されています。また同じ広尾の聖心女子大学は、外国から買い付けた苗や種畜の特性を把握し、北海道に送った開拓使第三官園跡地でした。
文京区には山縣有朋が出資した平田牧場もあり、看板が残っています。すぐ近くの護国寺境内には私立獣医学校発祥の地の石碑が存在し、この辺りで畜産が盛んだったことがうかがい知れます。
池袋に牛屋横丁が
その後、急速な都心の発達と殺菌技術などに伴い牧場は豊島区や板橋区など郊外へ移転し、都心の搾乳業者に生乳を販売するように変化していきました。
文京区と隣接した豊島区には1900年から大正時代にかけて、都心4区(麴町区、神田区、日本橋区、京橋区)の牧場が北豊島郡西巣鴨町(現:豊島区東池袋5丁目)付近に移り最盛期は60軒の牧場が移転し「牛屋横丁」と呼ばれていたといいます。今は「モーモー広場」の看板に記されており、横たわる牛のモニュメントから当時へ思いを馳せることができます。
また、豊島区南大塚の東福寺門前には「疫牛供養塔」があります。牛の疫病「牛痘」は2011年に根絶されました。1910年の建立以来、約100年に渡り関係者が苦労の中で安定供給に努めてきたことは感慨深いものです。
板橋区の石神井川付近は戦前、麦畑と牧場が多くあったといわれています。積田牧場は1950年頃、池袋付近から板橋区大谷口へ移転。50頭の乳牛を飼育しながら、1987年まで他の牧場から生乳を集め乳業メーカーに出荷しており、門柱が残っています。
技術と文化を伝え
東京牛乳畜産組合会員数は、1919年には340軒あったとの記録が残っています(表)。明治末期には酪農業と販売業が分離されるようになり、時を経て1933年にも、東京の区部だけでも202軒の牛乳関連事業所がありました。
さらに、戦後の都市化が進むに従い、東京の酪農はより土地が広く利用できる多摩地域への移転や廃業が相次ぎました。今では23区内で練馬区大泉学園町に1軒残すのみとなっています。近代酪農は江戸から東京へと変化する中で都心で興され、地方へと伝えられたのです。
【参考文献】東京ミルクものがたり:東京酪農乳業史跡を巡るハンドブック(農山漁村文化協会)、東京の牛乳物語―和田牧場の明治・大正・昭和(新潮社)、ミルク色の残像(豊島区教育委員会)












