
「東京大会を実現するために、われわれは、犠牲を払わなければならない。(そうすれば)選手はオリンピックの夢を間違いなくかなえることができる」―国際オリンピック委員会のトーマスバッハ会長が発言しました。
なぜ、「オリンピックの夢」のために、誰かが「犠牲」にならないといけないのか。
そうでなくとも止まらない感染拡大のもと、多くの人々が犠牲を払わされています。科学的根拠も示されないまま繰り返される休業要請で「このままでは飲食店がコロナ禍最大の犠牲者に」「映画館はもう限界」などの悲鳴が上がっています。
なにより、コロナで命が奪われている人がいます。「コロナで亡くなった友人は…受け入れ先が 5時間も見つからず、やっと病院に到着した際には、息を引き取っていた。苦しかったよね。つらかったよね。助かる命だったのに」という投稿がツイッター(短文投稿サイト)にありました。
助かる命を助けられないほど医療現場はひっ迫しているにもかかわらず、政府は、オリンピックのために看護師500人、医師200人出せという。菅首相の言う「安全・安心のオリンピック」とはまさにこれ。本当に、命を犠牲にオリンピックが開催されようとしていることに怒りしかありません。
先日、開かれた憲法審査会では自民党議員が“感染拡大が止まらないのは憲法のせい”という発言を繰り返していましたが、変えなくてはならないのは憲法ではなく政治です。オリンピックを中止し、誰も犠牲にしない政治を今こそ。(参院議員・東京選挙区選出)
東京民報2021年5月30日号より










