【アーカイブ】〈話題フォーカス〉 戦争の愚かさ、現代に伝え 戦後75年 注目集めた「国策落語」〈2020年8月30日号より〉

戦後75年を迎えた今年8月、戦争の愚かしさを伝える、戦時中の「国策落語」が、新聞各紙やテレビの報道番組で繰り返し取り上げられ注目を集めました。国策落語を研究し、東京民報での連載などを通じてその存在を社会に知らせてきた、話芸史研究家の柏木新さんに寄稿してもらいました。

柏木 新さん
柏木 新さん

私は若い頃から落語や講談などが好きで、それが高じて、新聞・雑誌などに演芸評や日本の話芸史について書いてきました。

その一つとして戦時中の「禁演落語」と「国策落語」の研究をライフワークとしています。この2月、新刊『国策落語はこうして作られ消えた』(本の泉社)を出版しました。予想以上の反応で、読んだ方からの感想はもちろん、書評が各新聞・雑誌に掲載されました。

「天声人語」や日経新聞に掲載

この8月には、15日の朝日新聞の「天声人語」で取り上げられ、13日の日本経済新聞にも、私の「悲しき戦時下の国策落語」の文書が掲載されました。12日の日本テレビの「ニュースZero」では、二代目林家三平のインタビューを中心に国策落語のことが報道されました。これも私の著作がきっかけで、番組制作に協力しました。

二つのライフワークのうち、「禁演落語」とは1940年に、軍部・政府から「戦争に協力せよ」と落語界が強要され、戦争をしている時局柄、「遊郭、妾、好色、不義、卑猥」などの落語は高座で演じることは禁止しようと、自粛したことです。いわゆる「禁演落語五十三種」です。そして1年後、浅草の本法寺(ほんぽうじ)に「はなし塚」を建立しました。この塚は現存しています。

浅草・本法寺の「はなし塚」
浅草・本法寺の「はなし塚」

 

忘れられた存在だった国策落語

それより重大なのは「国策落語」でした。国策落語とは、当時の軍部・政府の指導のもとで戦争遂行に協力するために、銃後の人々(戦地の後ろの日本国民のこと)はどう暮らしたら良いのかを落語にしたものです。

落語ですから勇ましい噺はつくれませんが、戦争のための膨大な軍事費確保のための「貯蓄・債券購入・献金」を奨励する落語、戦争遂行の人的確保のための「産めよ育てよ(殖やせよ)国のため」に順応した落語、出征する若者を「死んでこいよ」と送り出す落語などがつくられました。

禁演落語は戦後解禁され、今日では寄席や落語界で普通に演じられているので、「はなし塚」の存在もあり、戦争の愚かさを知るものとして知られるようになりました。

一方、国策落語は当時の軍部・政府にとっては、消極的な「禁演」ではなく、落語界がやるべき戦争協力として求めていたものでした。しかし、終戦とともにその役割は終わります。もともと「お上」から庶民に「戦争に協力しろ」と教訓をたれるものですから、「心に残らない、つまらない落語」であり、戦後、演じる落語家は誰もおらず、ほとんど忘れられた存在となっていました。

私が国策落語の存在を知ったのは、若い頃、早稲田大学名誉教授だった暉峻康隆(てるおかやすたか)先生が雑談の折に「昔ね、国策落語というのがあったんだよ」と漏らしたのを聞いたときでした。

私自身、禁演落語は知っていたものの、柳家金語楼など新作を得意とする新作派の落語家だけでなく、五代目古今亭志ん生、六代目三遊亭圓生など古典派といわれる落語家までもが、その名前で発表している国策落語があることなど信じられませんでした。

国策落語に関する柏木さんの著書
国策落語に関する柏木さんの著書

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