博士が愛した「我が植物園」 牧野富太郎 練馬区に記念庭園 書斎の新たな再現も

 NHKの連続テレビ小説「らんまん」のモデル、日本の植物分類学の父である牧野富太郎は、亡くなるまで約30年間を現在の練馬区で過ごしました。自宅のあった場所で、ゆかりの植物や、生前の書斎の一部などを公開する記念庭園と記念館は、博士の植物への思いに触れようという多くの来場者でにぎわっています。

足の踏み場もないほど本や資料が積み上がった書斎と書庫

 牧野博士は、東京帝国大学で講師を務めていたため、渋谷区など都心に長く暮らしていました。しかし、関東大震災(1923年)で、自宅にあった膨大な本や植物の標本が危険にさらされたこともあり、知人の紹介で大正15年(1926年)に移り住んだのが、武蔵野の雑木林が多く残っていた、現在の練馬区大泉の土地でした。

 生涯に1500種以上の植物を発見、命名して日本の植物分類学の基礎をつくった牧野博士。亡くなるまでこの地で、採取した植物の標本づくりや、著書の執筆などを続けました。また、自宅の庭には、自身が発見した樹木や草花などを取り寄せて植え、「我が植物園」と呼んで大切に育てたといいます。記念庭園には、当時の植物も残っており、博士自身が植えた植物には、樹名板にそれを示すマークが書かれています。

 昭和32年(1957年)に、博士は94歳で亡くなり、翌年の1958年に練馬区が記念庭園と記念館を開設しました。

病死した妻への感謝を笹の名に

 記念庭園では、10種類に及ぶ桜など、博士ゆかりの植物を季節ごとに楽しむことができます。

 これから咲くアジサイのうち、「ヒメアジサイ」は、博士が発見して命名したもので、自宅に植えていたものの、記念庭園では途絶えていました。博士の次女が高知県に贈ったものが、今も枝分けして咲き続けていることがわかり、昨年の牧野博士生誕160年を記念して、練馬区に「里帰り」したものです。

博士の胸像とスエコザサ

 庭園内の博士の胸像や歌碑の周りには「スエコザサ」という笹が植えられています。「貧乏との戦い」でもあった牧野博士の研究を支えた妻・壽衛(すえ)が、1928年に54歳の若さで病死した時、妻への深い感謝を込めて、前年に仙台で発見した新種を命名したのが、この笹です。

 記念館学芸員の田中純子さんは、「先生と壽衛さんがずっと共にあってほしいと、当園では先生の胸像や歌碑のまわりに植えています。立派に繁殖しているのは、二人の愛情のおかげかもしれませんね」と話します。

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