「笑顔でいれば必ずお友達もいっぱいできるし、みんなに好かれるのよ、どんなときでも笑顔でいるのよ」▼作家の海老名香葉子さんが、戦時中に沼津に疎開する際、母親からかけられたという言葉です。沼津からは、1945年3月9日の夜、東京の方向の空が赤くなっている様子が見えたといいます▼家族の無事を願う少女の思いは、届きませんでした。空襲から数日後、兄が疎開先を訪れて、両親や祖母らが亡くなったことを告げました。戦後は、孤児として親戚の家に預けられるなど、さまざまな苦労を経験。後に、父の知り合いだった落語家の三遊亭金馬の養女となり、初代林家三平と結婚します▼昭和の爆笑王として知られた三平が早逝してからは、芸能一家の大黒柱として一門を支えながら、自身のような子どもを二度と生んではならないと、戦争体験と平和への思いの発信を続けました。私財を投じて、上野に慰霊碑「哀しみの東京大空襲」と「時忘れじの塔」を建て、毎年、慰霊の集いを開きました▼海老名さんが2025年末、92歳で惜しまれながらこの世を去り、最初の東京大空襲の日を迎えます。戦後81年を経て、当時を知る世代が亡くなっていくなか、平和への思いと活動を、未来に引き継ぐ3月10日です。
東京民報2026年2月22日号より







