芸術で心の自由守り抜く 震災10年 光への歩みマイムと重ね

チャリティー活動で公演続ける 松井 朝子さん

 パントマイミストの松井朝子さんは2011年から、東日本大震災のチャリティー公演をライフワークとして毎年開催しています。昨年マイム歴40周年を迎え、記念舞台を予定していたものの、コロナ禍で中止を余儀なくされ、今年も延期せざるを得なくなりました。チャリティー公演を続ける思いや、現在の活動を聞きました。(松本美香 写真・田沼洋一)

 ―東日本大震災をテーマにした作品「あの日」(東日本大震災)を創作されました。

家族の遺志を継いで昨年2月に完成したアートのような空間「まついハウス」で

 とにかく自分ができることをやりたいという気持ちだけでした。被災地の様子を見て、何もできないもどかしさに苦しみましたが、私に唯一できるのは表現すること。被災者の方が投稿された6万点の写真から選び抜いたものを映像に構成し、マイムの肉体表現と折り重ね、悲しみや苦しみの中から光に向かってあゆもうとする様子を表現しました。

 ―言葉を使わず肉体のみでの表現で、心の中が伝わってきます。

 実は東日本大震災発生の年、祖母は100歳を間近に控えており、数学研究者で元「自由の森学園」学園長の父に末期がんが見つかり、絵本と紙芝居作家の母は脳の病気を発症しました。壁画家の姉と2人で家族の看病と介護に追われながら、芸術活動を続けました。

 祖母は100歳で亡くなり、父もあっという間に最期を迎え、母は5年間、自宅で看護しました。母の苦しみは言葉で言い表せないほどでした。片時も目が離せず、眠ることも出来ませんでした。

 「あの日」は、母が約2時間おきに打つ寝返りの合間をぬって深夜に創作しました。

 この10年の間に創った作品は、ほとんどが家族の看病をしながら生まれました。

 家族の病気と向き合うことは、深い苦しみや悲しみを知ることとなりました。あのときの体験が、今の表現に生きていると思います。

 ―2011年からコロナ禍にまで、毎年チャリティー公演を続けてきました。

 チャリティー公演ではたくさんの方が被災地に思いをよせながら、平和や幸せへの思いをアンケートにつづり、募金を寄せて下さいました。「芸術が楽しめるだけでなく、それがみんなの力になる」という言葉を観客の方にいただき、チャリティー公演は人々の心にとって大事な活動なのだと実感しました。

 チャリティー公演として毎年5月4日に作品を発表すると決めたのも、自分にとってよかったと思います。

 家族の命の灯が消えそうなときでも、マイムを続けて来たからこそ、いろいろな表現の作品が生まれたのだと思います。

 私は24歳で過労により腎臓を悪くし、難病指定のネフローゼ症候群になりました。20代後半、一番多忙で仕事に変化がある時期に病気と闘いながら、公演を続けました。もちろん、マイムを止めようとは思わなかった。今でも食事に気をつけ、薬を飲みながら体調を管理しています。病気をしたことは、辛いときでも耐える力を培うと同時に、自分を大切にするようになりました。

 ―平和を訴えるメッセージ性の強い作品が多いですよね。

 経済学者だった祖父は戦時中に戦争に反対したために治安維持法で捕らえられ、拷問にあい、49歳で亡くなりました。祖母と母は和歌山大空襲で火の海を逃げ回った。私は小さい頃から戦争の悲惨さ、平和の大切さを聞いて育ちました。

 2003年にイラク戦争が始まり、テレビで流れる映像を見て、思いがあふれ出てくるんです。いてもたってもいられない。そこで、「戦争と平和」という作品を創作しました。その後、カザルスの「鳥の歌」をインスピレーションに、羽ばたく鳥の姿に戦争と平和のシーンを盛り込んだ「鳥」を発表しました。

 ―コロナ禍で公演が全て中止になり、今はどのような活動を。

 これまで舞台で演じたものを、映像作品として一つ一つまとめています。動画をネットにアップすることで今までみて頂けなかった方や、世界中の人に表現することが出来る。4月に「あの日」(東日本大震災)をユーチューブで公開したところ、被災地の方に「鎮魂の表現がほしい」との意見をいただきました。舞台に立てなくても、人々との心のつながりを大切にして、作品を深めていきたいです。

 ―「市民による外環道路問題連絡会・三鷹」代表委員や「三鷹9条の会」でも活躍中です。

松井朝子オリジナルマイム「あの日」(東日本大震災)。YouTubeで配信中
https://youtu.be/62pNrrKdx4k
問合せ:朝子マイムオフィス

 まず外環道ですが、今までにないような、住宅地の真下に巨大なトンネルを掘り、環境を破壊するのは許し難いこと。何よりも住民の意見を聞かずに計画を強行する事に怒りを感じます。私は母や祖母から「戦争の怖さは心の自由を奪われること」と教わりました。今、政府は改憲して平和憲法の9条まで変えようとしているのではないでしょうか。戦争は生きる喜びを奪います。人間が自由な心を持ち、生きる喜びを感じてこそ、平和な社会なのだと思います。

 私は心の自由を守り抜く覚悟で芸術活動をする必要があると思っています。そうでなければ私は生きていると感じられない。マイムはないものがあるように見える自由な心の空想の世界です。自由や平和を表現できるような創作をしながら、舞台では皆さんに笑ってもらい、苦しみや悲しみに出会っても光に向かって行く瞬間をこれからもつくっていきたいです。

 まつい・あさこ 14歳でマルセル・マルソーの舞台に感動し、日本マイム研究所に入門。18歳でフリーとなり、全国各地を年間100~150回公演。24歳でオリジナルの「きものマイム」を発表。海外での公演も数多く、テレビ、CM等でも活躍。

 

【東京民報2021年6月13日号より】

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