
長崎で被爆した大阪市と神戸市の2人の男性が、原爆症と認めなかった国の処分の取り消しを求めた「ノーモア・ヒバクシャ近畿訴訟」で、大阪高裁は18日、一審判決をそのまま踏襲して、原告の訴えを棄却する不当判決を出しました。東京など7つの地裁に120人が提訴した一連の「ノーモア・ヒバクシャ訴訟」の最後の訴訟で、日本被団協や東友会(東京の被爆者団体)、東京訴訟の元原告らが同日、厚労省に根本的な救済策の実現などを申し入れるとともに、記者会見しました。
判決は、二人の病気について、飲酒などの生活習慣による発症の可能性をあげて請求を退けた一審判決を踏襲しました。原告団・弁護団は声明で、「控訴理由や、控訴審での医師の尋問についての検討をまともに行わず、任務を放棄したもので到底、容認できない」と厳しく批判しました。
厚労省内での記者会見で、日本被団協の木戸季市事務局長は判決について、「日本の被爆者援護政策の貧困を表している。距離や時間などの基準で分けるのではなく、すべての被爆者を援護対象とすべきだ」と強調しました。その理由は、原爆症の認定基準は、裁判で国の敗訴が相次ぐことで、改定を迫られる流れが続いてきたことにあります。
2001年に定められた旧基準に対して、被爆者が集団訴訟を提起。国の敗訴が相次ぎ、国は何度も基準の改定を余儀なくされました。このため、09年に麻生太郎首相(当時)と日本被団協が確認書を締結し、集団訴訟の終結と、定期協議の場の設置が決まりました。
その後、13年に新たな基準が定められますが、それでも原爆症と認定されない被爆者が相次いだため、起こしたのが7地裁120人によるノーモア・ヒバクシャ訴訟です。同訴訟も、事務局の集計で、被爆者側の勝訴率が75%前後にのぼり、行政訴訟としては異例の高さとなっています。
会見で、東京の元原告で全国原告団副団長の綿平敬三氏は、「原告2人は認定の申請から10年以上、経っており、一人は亡くなった。人生の多くの時間を、そこにつぎ込む苦しみを理解してほしい」と訴えました。児玉三智子同事務局次長も、「被爆者のなかで線引きすること自体が非人道的だ。国が起こした戦争で、ただその日に広島、長崎にいたというだけで、被爆者になった。戦争を起こした国の責任をきちんと取ってほしい」と厳しく指摘しました。
〈東京民報2022年3月27日号より〉