【アーカイブ】作家 早乙女勝元さんに聞く 戦争の記憶、未来につなぐ 歴史の現場への旅、復刻出版〈2020年7月12日号より〉
- 2022/5/11
- 文化・芸術・暮らし
作家で東京大空襲・戦災資料センター名誉館長の早乙女勝元さんが、世界各地の戦争と平和の現場を旅して、当事者に取材した作品のシリーズを、新日本出版社から出版しています。2月には最新刊となる「ゲルニカ」を出しました。ナチスドイツからの無差別爆撃を受けたスペインの町ゲルニカを訪ねるルポルタージュなど2作品を収録しています。
出版しているのは、1980~90年代に戦争と平和を伝える現場を訪ね、関係者に話を聞いてまとめた作品です。その多くは、写真集「母と子でみる」シリーズとして、30冊ほど出版されたものですが、現在は入手困難になっています。
今回は、文章を中心にすることで1冊に2つの作品を収録し、さらに出版後に起きた出来事をはじめ最新の状況を注釈として書き加えるなど、「復刻版的な新版」(早乙女さん)としてまとめています。
ゲルニカの空爆体験者に会って
最新刊に収録した作品の一つでは、ピカソの傑作絵画のモチーフになったことで知られる、スペインの町ゲルニカを訪問します。
当時のスペインは、反ファシズムの人民戦線に属する共和国政府でした。政府への反乱軍を率いたフランコ将軍を支援するため、ナチスドイツが1937年4月26日にゲルニカの町を無差別爆撃します。爆撃のニュースを聞いたピカソは、怒りに震え、1カ月ほどで、巨大な壁画を完成させました。

「東京大空襲や広島、長崎の原爆投下に至る、一般人の大量殺りくを招く都市爆撃の実験台、端緒となったのがゲルニカです。私自身も12歳で東京大空襲を経験し、空襲の体験記録の運動をするなかで、ずっとゲルニカのことが気にかかっていました」と、早乙女さんは話します。
旅では、ゲルニカの町を訪ねる前に、マドリードでピカソの「ゲルニカ」の実物を見ています。
フランコ将軍による独裁政権が長く続いたこともあり、早乙女さんが見る数年前までは、右翼による襲撃を警戒して、ゲルニカの壁画は全面、防弾ガラスに覆われていたといいます。訪ねたときには、ガラスもなく、直接見ることができました。
「東京で見た写真による複製と違って、実物のゲルニカは躍動感にあふれ、登場人物がみんな『動いて』いました。20世紀の戦争とはどういうものか、象徴的に訴えた、世界的な名画です」
初めて訪ねたゲルニカは、「小さな町でした。マドリードから、飛行機でビルバオという都市まで行き、さらに30キロを車で移動する。なかなか厄介でした」と振り返ります。
シリーズの大きな魅力が、現地で当時を知る関係者に直接会って、取材していることです。80年代、90年代にはまだ、第二次大戦中の出来事などを体験した当事者が多く生きていました。
ゲルニカでも、空襲を体験した3人の住民から、防空壕で息をひそめていた様子や、爆撃後にフランコ反乱軍が町を占領したときの様子などを聞いています。
アンネの家族支えた人たち
最新刊に収録したもう一つの作品「イタリア・パルチザン」では、イタリアでファシズムのムッソリーニ政権に抵抗した人たちの足跡を訪ねます。
「ファシズムの一員だったイタリアが、ムッソリーニを倒して、第二次大戦が終わるときには、連合国の側に加わっている。戦争への国民の大規模な抵抗があり、ムッソリーニの政権内にも、もう戦争を止めようという動きがあった。日本にはなかったことです。その歴史を知りたいと、現地を訪れました」
新日本出版社では、関連するシリーズを2017年から4冊、発刊してきました。
中でも早乙女さんが、「印象深い」と振り返るのが、ナチスドイツのユダヤ人迫害による隠れ家生活を「アンネの日記」に残したアンネ・フランクの取材です。
現在では隠れ家の建物は建て替えられ、博物館となっていますが、80年代に訪ねた当時はアンネが暮らした形のままで、残されていました。
「必ず一冊の本にして日本に広めるから」と、頼んで、通常の開館より30分早く、貸し切りで館内に入らせてもらいました。
老朽化のため一般には公開していなかった屋根裏の様子など、アンネ家族が当時、暮らしていたままの部屋を取材した貴重な記録です。
また、家族を守ろうと、食料品や日用品を隠れ家に届けていたミープ夫妻にも会っています。
夫妻が暮らすアパートで、早乙女さんが、アンネの形見はないか聞くと、座っていた長椅子から立つよう言われます。その長椅子の腰かけ部分のなかに、アンネの化粧用ケースや、家族が買い物を頼んだメモなど、遺品の包みが入っていました。
ミープさん夫妻もすでに亡くなっています。
自分の体験を語り続けたい
第二次大戦の体験者が少なくなる中、戦争体験の継承は、大きな課題です。

早乙女さんが名誉館長を務める東京大空襲・戦災資料センターは6月20日、展示内容を大幅刷新して、リニューアルオープンしました。
展示物の横にQRコードをつけ、スマートフォンをかざすと、展示品について体験者が自ら説明する音声と動画を見られるようにするなど、空襲の記憶を若い世代につなげる工夫をしています。
早乙女さんの体験を、出版社が紙芝居にする取り組みも進んでいます。
「コロナ禍は世界で50万人以上が亡くなる国際的な危機です。世界中で戦争を止めて、軍事費を人類の安全な生活のためにまわすべきです。その音頭取りをすることこそ、大空襲や原爆を経験した日本の役割でしょう。私も、自分の戦争の体験を、可能な限り語り続けていきます」
(東京民報2020年7月12日号より)
〈Web版追記=2022年5月11日〉作家の早乙女勝元さんが5月10日に亡くなりました。2020年7月12日号のインタビューをアーカイブ公開します