夏休みになると小中学生向けに課題図書などが紹介されます。そんな中から児童文学を何冊か読むのが、私なりの夏休み。そのうちの一冊です。

大学生になった初めての夏休み、海斗は認知症の症状が出始めた祖母の「見守り」を頼まれた。祖母は豆蔵という柴犬を飼っていて朝夕散歩に行く。「えっ、豆蔵は死んだんじゃないの?」母に問うと「いいから、いいから」と。祖母はだらりとしたリードを持つと歩き始めた。海斗が「ぼくが持つよ」とリードを手にした時、見えないはずの豆蔵の尻尾が揺れている!「何だ、これは?」リードを持つと確かに死んだはずの豆蔵が見えるのだ。そして不思議なことが次々と起る。自転車が猛スピードで走り去って行った。あいつ、高2の時、事故で死んだ浩介じゃないのか?
近くのマンションの駐車場に来ると、セーラー服の女の子が立っていた。目で合図をすると「見えるんだ、私のこと。見つけた、話のできる人」。ゾクっとしてリードを離すと女の子は消えた。
海斗はリードを握ることによってあの世とこの世のボーダーに立った。そして、未だあの世に行ききれない人たちに出会った。思い残すことや未練があってあの世に行けない人たち。どうすればあの世に行ける?でも、そもそも行きたいのか? 自転車で疾走する浩介、横断歩道で登校をためらう子どもたちの背中をそっと後押しする「イットイデン」のおじさん、そして女の子。あの子は駐車場で両手を掲げて何かを受け取るように立っていた。あそこで転落事故があったらしい。あの子と関係あるのだろうか。
海斗は祖母の見守りをする、いわゆるヤングケアラーだと思っている。ならばボーダーにいる人たちの迷いを解いてお世話するのもケアラーではないか。さしずめボーダレス・ケアラーだ。海斗の忙しい夏が始まった。
先祖の霊が帰ってくるというお盆に相応しい、不思議で優しいお話です。また、死者の未練を解き明かす謎解きのスリルもあります。(元図書館員・なかしまのぶこ)
(東京民報2021年8月22日号より)