【 #Web東京民報 連載】⑬終生心に痛手を負った、大塚保治〔上〕 池内俊雄

 日本における「美学」の泰斗として(旧姓小屋)保治は、帝大で先駆的な役割を果たし、その薫陶は多くの卒業生に引き継がれている。保治は紙切れを片手に、学生の心に何時しか染み込んでゆくような情熱で語りかけたらしく(和辻哲郎『岡倉先生の思い出』参照)、また、生涯一冊の著作も残さなかった。金之助(漱石)が『三四郎』の中で、自分の研究を著さない広田先生のことを「偉大なる暗闇」に例えているが、広田先生のイメージの一端をなすのが保治である。

大塚保治 昭和4年に定年で退官した頃の大塚保治博士の写真。東京大学文学部美学教室提供。

 保治が大学院に進むと寮では、金之助・斎藤阿具と同室、時には向かいの部屋になった。また、舎監の清水彦五郎が大塚楠緒子の婿として保治と金之助を候補に挙げたことが、その後の三人の人生に大きな影を落とすことになった。    

 金之助と楠緒子は小説を通してお互いの思いを吐露することができたが、一時は金之助と職場を共にした保治は、二人が自分とは別の世界で交信していたのを、どんな気持ちで見ていたのかと思うと、切ないものがこみ上げてくる。金之助と保治の二人のやり取りを彷彿させる場面が『それから』にある。

(平岡)「君は三年前のことを覚えて居るだろう」

(代助)「三年前はたしか君が三千代さんと結婚した時だ」

(平岡)「そうだ。その時の記憶が君の頭に残っているか」

(平岡)「三千代を僕に周旋しようと云い出したものは君だ」

(代助)「貰いたいと云う意思を僕に打ち明けたのも君だ」

(平岡)「それは僕だって忘れやしない。今に至るまでの君の厚意を感謝している」

・・・・・・・・・・・・・・

(平岡)「君は何だって、あの時僕の為に泣いてくれたのだ。なんだって、 僕のために三千代を周旋しようと思ったのだ。 …今日の様な事を引き起こす位なら、何故あの時、ふんと云ったなり放って置いてくれなかったのだ。僕は君からこれ程深刻な復讐を取られる程、君に向かって悪い事をした覚えがないじゃないか」

(代助)「平岡、僕は君より以前から三千代さんを愛していたのだよ」

 この会話をそのまま事実とは受け取れないものの、平岡=保治、代助=金之助と置き換えると、二人の関係が推測できる。続いて小説では「僕が君に対して真に済まないと思うのは、今度のような事件より寧ろあの時僕がまなじい遣り遂げた義侠心だ。君、どうぞ勘弁してくれ。」と詫び、そして遂に頭を抱える平岡に「三千代さんをくれないか」と切り出したのである。これはあくまで小説の中のフィクションであるが、月夜の晩、金之助が斎藤阿具を仲立ちとして保治と歩きながら喋った内容と、相通じる心理が働いているのではないだろうか。

(いけうち・としお 日本文化・文学研究家)

〈東京民報 2020年7月26日号より〉

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